7.イエスの無条件の愛
イエスは常にあなたと共におられ、こう約束しています。「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを見捨てない。」
あなたはイエスのある者と説明しましたが、「イエスはある」「イエスにあって」ということは、イエスが永遠にあなたの友であり主としてあなたの内に住んでおられることを意味します。
イエスの愛は無条件で、あなたの人柄の良さや行いによりません。また、イエスの愛はあなたの感情だけで測れるものでもありません。すなわち、神の愛を「感じない」時でも、神のあなたへの愛は常に不変で、それからあなたを切り離すものは何もありません。
神の愛から私たちを引き離すことができるものは何一つない、と確信しています。死もいのちも、そんなことはできません。天使にもできません。地獄の全勢力が結集しても、神の愛から私たちを遠ざけることはできません。恐れも、不安も同様です。あるいは、私たちが空高くのぼっても、海の底深くもぐっても、どこにいようと、神の愛から私たちを引き離すことはできません。(ローマ8:38ー39)
イエスの愛を体験した使徒パウロはこのように言っています。
しかし私は、以前、非常に価値があると思っていたこれらのものを、今ではことごとく捨ててしまいました。それは、ただキリストだけを信頼し、キリストだけに望みをかけるためです。主であるキリスト・イエスを知っているという、途方もない特権と比べれば、ほかのものはみな色あせて見えるのです。私は、キリスト以外のものは、がらくた同然と思っています。それは、キリストを自分のものとするためであり、もはや、良い人間になろうとか、律法に従って救われようとか考えるのはやめて、ただキリストを信じることによって救われ、キリストと結ばれるためです。神が私たちを正しい者と認めてくださるのは、信仰――ただキリストだけを信じ頼ること――を持っているかどうかで決まるからです。私は今、ほかのことはいっさい考えず、ただこのことだけを求めています。つまり、真にキリストを知ること、キリストを復活させた力を、この身をもって体験すること、そして、キリストと共に苦しみ、また死ぬとはどういうことかを知ることです。死者の中から復活した、生き生きとした新しいいのちに生きる者となるためには、どんな犠牲もいといません。
イエスをもっと深く知るために、また、神の愛を体験し続けるのに、次のことを新しい習慣とすることをお勧めします。
- 神のみことば(聖書)を読む時間を過ごすこと
- 祈りの中で神とともに過ごすこと
- なんでも信仰によって神に従うこと
- 聖霊に満たされたライフスタイル
- 他のキリスト者(クリスチャン)と交わること
- 他の人に自分が体験した神の愛を宣べ伝えること
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