なぜ、イエスか

本物のイエスとは誰ですか?イエスキリストについての事実

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7.イエスは私達のこの日に関係があるか?

イエスは自分についてどう語っているか

神の完璧な解決策

イエスが公の場で教えていた3年間の間、彼は私たちに人生の送り方を教え、多くの奇跡を行い、死人をよみがえらせもしました。しかし彼は、自分の本来の使命は、私たちをおのおのの罪から救うためだとはっきり言いました。

イエスは自分が神が約束したメシヤ(救世主)であり、私たちの悪行を彼自身によって取り除くと宣言しました。預言者イザヤはそれより700年も前にメシヤについて書き記しており、それがメシヤの身元に関するいくつかの手がかりとなっています。しかし、理解するのが一番困難な手がかりは、メシヤが人間であると同時に神であるということです。イザヤはメシヤについてこう書いています。

「ひとりのみどりごが私たちのために生まれた。ひとりの男の子が私たちのためにあたえられた。その名は『大能の神、永遠の父、平和の君』と唱えられる。』

著者レイ・ステッドマンは、神の約束したメシヤについてこう書いています。「旧約聖書は始まりから【誰かが来るぞ!】と思わせる、近づいてくる足音のような希望と期待感がある。預言者たちが次から次へと【誰かが来るぞ!】と期待の持てそうなヒントを示すので、その希望が預言の記録を通して高まっていく」
[9]

古代の預言者たちは、メシヤが完璧な贖罪の献げ物となり、神の完全正義を満足させるものとなると予言しています。預言者を通して語られた神の言葉によると、この約束されたメシヤは、私たちのために死ぬのに、条件を満たす人間であるいうことです。

新約聖書の著者によると、私たちの罪をあがなうためのいけにえとしてイエスが条件を満たした唯一の理由は、彼が神として道徳にかなった完璧な人生を歩み、罪の審判の対象にならなかったことです。

イエスの死がどうやって私たちの罪の対価を支払ったのかは、理解しがたいことです。おそらく、裁判の例え話を例にすることで神の完全なる愛と正義のジレンマ(板挟み)をどうやってイエスが解決したか、明確にできるかもしれません。

(あなたに深刻な問題があったと仮定して)殺人の罪で法廷に入場するところを想像してみてください。法廷に近づくにつれて、裁判官があなたの父親だということに気付きます。父があなたを愛しているのを知っているあなたは「お父さん、私を解放してください!」とすぐさま嘆願{たんがん}します。

それに対して父親はこう答えます。「息子よ、お前を愛しているが、私は裁判官だ。ただ釈放するなんてわけにはいかないんだよ」

父親の心はかき乱されます。最終的に父(裁判官)は小槌を叩いて、あなたの有罪判決をくだします。正義は、少なくとも裁判官によっては、妥協されることはできません。しかし、父はあなたを愛しているので、法廷から降り、法服を脱いで、あなたの罪に対する刑罰をあなたに代わって受けることを申し出ます。そして実際に、父があなたの代わりに電気椅子で処刑されます。

これが新約聖書に描かれた光景です。神がイエスキリストという人物の中で人類の歴史に足を踏み入れ、私たちの代わりに、私たちのために、電気椅子(つまり、十字架)へと行ったのです。イエスは私たちの罪をかぶるため身代わりになった第三者ではなく、それどころか彼は神自身なのです。より単刀直入に言えば、神には2つの選択肢がありました。【私たちの罪を裁く】か、【神自身が厳罰を受ける】か。キリストにおいて、神は後者を選んだのです。

ボノはただ単に新約聖書の著者たちが私たちに教えたことを述べているだけです。

「キリストの死における要点は、キリストが世の罪を引き受けたので、我々がやったことは自分達に返ってこなかったし、我々の罪深い本質は明らかな死の報いを受けなかった。要点はそれだけ。それが我々を謙虚にさせるはずだ。天国の門を通れるのは自分たちのやった良い行い(善行)のためではない[9]

イエスだけが我々を神へと導くことができる者であるということをイエスは明確にし、主張されました。「イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない

しかし多くの人たちは、イエスが神へ近づく唯一の方法であるという彼の主張は狭すぎると異議を唱え、神へと近づく方法はいくつもあると言います。宗教はどれもみんな同じだと信じている人たちは、私たちに罪という問題があることを否定します。彼らは、キリストの言葉を真剣に受け止めることを拒否します。彼らは、自分たちがやってきたことが何であろうと、神の愛が私たち全てを受け入れてくれるだろうと言います。

多分ヒトラーやオサマ・ビンラディンが裁きを受けるのは当然の報いだと彼らは判断するのに、彼ら自身や【まともな生活】を送ってきた人には関係ないと思っています。それは神が相対評価で成績を評価し、落第点でなければ誰もが入れると言ってるようなものです。しかし、これは一つのジレンマを示しているのです。

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