イエスが語られた神
創造主の最高神
「八百万の神々」というように、日本古来の神道も、ギリシア神話のように「多神教」ですが、イエスが語られたイスラエルの神は絶対的な独りの神。天と地、すなわち、霊的な世界と物質的な世界、超科学的領域と科学的領域とを創造された、神々を君臨する最高神。イエスを中心として基礎とするキリスト教は、三位一体(父なる神、神の子イエス、聖霊の三つが唯一の神)を教えますが、日本の古事記の
関係を築かれる神
多くの人、神を直接知り、ともに喜んでくださる方ではなく、エネルギーのような力と考えるようです。けれども、イエスが語られた神は、映画「スター・ウォーズ」の「フォース」のような非人間的で、電圧で測ることができるようなエネルギーではありません。また、イエスが語られた神は、空にいて私たちの人生をみじめにして喜んでいる冷酷なブギーマン(子どもをさらっていくという鬼)でもありません。
正反対に、私たちが求める以上に関係を求められる神についてイエスは語られました。神は考え、聞かれ、私たちが理解できる言葉で話しかけられます。イエスは、このような神について説明され、またご自身で神がどのようなお方であるかを実践されました。イエスは、神は私たちと親しく交わることを望んでおられるとも言われました。私たち一人ひとりを親しくご存知の神は、常に私たちのことを考えておられ、私たちが求める以前から私たちが必要なものをご存知です。
愛される神
また、イエスは、神は愛されることを話されました。そして、訪れた場所で病人を治し、傷ついた人、貧しい人たちに手を差し伸べられ、神の愛を実践されました。神の愛は、高潔さ、思いやり、赦し、慈悲、恵み、誠実さ、訓練など様々な形で、私たちに対してあらわされます。
私たちは、相手の魅力や行動に反応し、愛を示しますが、神の愛は、私たちが他人に抱く愛とは驚くほど違います。神の愛は、完全に自己犠牲的で無欲です。良い父親は子どもたちのために最善を望み、犠牲となり、必要を満たし、しつけます。イエスは神の愛を完璧な父の愛に例えられました。
イエスは、神の愛の核心について、放蕩息子の話を用いて説明されました。傲慢で、強情で反抗的な息子は、父親のアドバイスを無視し 働くことをやめ、楽しくぜいたくな生活だけを望みました。さらに、父が死んだ後に行われるはずの遺産相続前に、遺産を分けてくれるよう要求しました。
イエスの話に登場する父親は息子の願いを受け入れ、息子は、初めのうちは、何でも好きなことができると有頂天になりましたが、そのうち状況が暗転しました。身勝手にお金を浪費した放蕩息子は、豚の世話係として働くこと強いられるようになりました。
イエスは、家に戻ってきた息子を父親は喜んで迎え入れただけでなく、戻ってきた息子を見て、家から飛び出して駆け寄ったと話されました。父親は、息子のことを忘れるどころか、帰宅を待ちわびていました。そして、息子に対する究極的な愛を示すために、最上の上着を着せ、帰ってきたことを祝宴をもよおし、大きな喜びを他の人々と分かち合ったのです。
息子を深く愛していたのにも関わらず、父親が彼を追いかけなかったことは、大変興味深いことです。愛する息子が、自分で選んだ父への反抗の結果、痛み、苦しむときに父親は、ほっておきました。聖書も神の愛は私たちの最善のために、絶対に妥協をしないと語っています。私たちが間違った選択の結果、苦しむことで、天の父を必要としていることを気づかせるためです。
イエスはまた、神は決して、ご自身の性質について妥協はしないと教えられました。性質とは、私たちの最も深いところで自分自身を形作っている本質で、全ての考えと行動の起源ともいえます。では、神とは、どのようなお方なのでしょうか。
聖なる神
聖書の中で、神は「聖(きよ)い」と記述されている箇所は600箇所にも及びます。例えば、大祭司のような祈りで、イエスはご自分の父を「聖なる父」8として礼拝しています。「聖い」とは神の御性質があらゆる面で、道徳的に純粋で完全であることを示しています。神は汚れたこと、高潔な道徳に対して矛盾する考えを抱くことは絶対にありません。
聖なる神は、常に完全に正しく、公平なお方です イエスは、神の私たちに対する正義は私たちの心の態度に対して示されるものであって、私たちが自分や他人が受けるべきと考えてしまうような報いではないと教えられました
さらに、神の聖さは、神が悪の存在の中に存在できないことを示しています。ご自身の御性質の正反対である悪を神は憎まれます。神はご自分の聖い純粋な水が悪によって汚染されることを許しません。
神が聖く、悪を嫌悪されるならば、なぜ私たちの性質をご自分と同じように造られなかったのでしょうか。なぜ、子どもに対する性的虐待や殺人、強姦、性倒錯が存在するのでしょうか。なぜ道徳的葛藤があるのでしょうか。こうした疑問について続けて読むことで、人生の意味を探る旅へと皆さんを導きたいと思います。まず、イエスは、私たちについて何を語られているのでしょうか。