墓荒らし?
モリソン博士は調査を続けるにあたって、イエスの弟子の動機を調べ始めました。もしかしたら、復活だと思われてたのは実際は死体が盗まれただけだったのかもしれません。しかし、仮にそうだとすれば、復活したイエスの出現はどう説明するのでしょうか?ユダヤ人の歴史を研究している歴史学者ポール・ジョンソン氏はこう記しています。「重要なのはイエスの死の状況ではなく、イエスがよみがえったということが、広がりつつある人々の輪によって、広くかたくなに信仰されているという事実であった」[22]
その墓は確かに空っぽでした。しかし、イエスの信者を駆り立てたのは、死体の単なる不在ではありませんでした。(彼らが死体を盗んでた張本人だったならなおさらです。)何か特別なことが起こったに違いありません。というのは、イエスの信者は喪に服すのをやめ、隠れるのもやめ、生きている姿のイエスを見たと恐れずに公表し始めたからです。
それぞれの目撃者の証言によれば、イエスは突然、信者の前に体ごと現れ、最初に見た者は女性の信者でした。モリソン博士は陰謀者が何故そのプロットの中心に女性をおいたのか疑問に思いました。最初の世紀では、女性には権利、個性、立場がないも同然でした。もし策略が成功していたなら、陰謀者たちは最初に生きているイエスにを目撃したの者として、女性ではなく、男性を描いたであろうとモリソン博士は推論しました。それでもなお私たちが聞くのは、女たちがイエスに触れ、彼と言葉を交わし、そして空っぽの墓を最初に見つけたということです。
後に、その目撃者の証言によって、全ての弟子がイエスを10回以上、それぞれ別の機会で目撃したそうです。イエスが弟子達に自分の手と足を見せ、触るように言ったと弟子たちは書き記しています。そして、伝えられるところによると、イエスは弟子たちとともに食べ、その後、ある時500人以上の信者の前に生きた姿で現れたそうです。
法律学者のジョン・ワーウィック・モンゴメリは「西暦56年にキリストの使徒パウロが、500人を超える人が生き返ったイエスを目撃していて、その目撃者のほとんどがまだ生存していると書いた(コリント人への弟一の手紙 15章6節)」と述べています。そのような物語がでっち上げられ、それから、単にイエスの体をつきつけることで簡単に反証できる人々の間で伝えたという説は、信憑性の限界を過ぎました。[23]
歴史学者のガイスラーとトュレックは賛同しています。「もし復活が起こらなかったのなら、使徒パウロは何故そのような目撃者だと思われる者のリストを与えたのか?露骨に嘘をついたことで、パウロは即座にコリント人の読み手の信頼性全てを失うことになっただろう」[24]
十二弟子の一人ペテロはカイザリヤの大衆に、自分や他の弟子達がイエスが生きてることに何故そんなに確信できたのかを話しました。
わたしたちは、イエスがこうしてユダヤ人の地やエルサレムでなさったすべてのことの証人であります。人々はこのイエスを木にかけて殺したのです。
しかし神はイエスを三日目によみがえらせ、 <省略>わたしたちは、イエスが死人の中から復活された後、共に飲食しました。
イギリスの聖書研究家マイケル・グリーンはこう述べています。「イエスの数々の出現が本当であることは、他の古代のことに劣らずよく証明されているし、それらが本当に起こったということに疑いの余地はない」[25]