イエスは死んでいたか
「マーリーはドアの釘のように死んでいました。それには何の疑いもありません」チャールズ・ディケンズのクリスマス・キャロルがそう始まってるのは、著者がこれから起こる予定の超自然的な状態と間違えて欲しくなかったためです。同様に、私達がCSI(=犯罪現場操作)の役割を引き受け復活の証拠をつなぎ合わせる前に、実際に死体があったことを証明しなければなりません。というのは、死体安置所の死体が動きだし回復したと、時々新聞に載っているからです。イエスにもこれと同じようなことが起こった可能性があるでしょうか?
一部の人は、イエスが十字架にはりつけの間生きていて、墓の中の涼しく湿った空気によって意識を回復させた可能性を提案しています。しかしながら、その説は医学的証拠と一致しません。米国医師会の学会誌の記事は、何故このいわゆる【気絶理論】が通らないか、次のように説明しています。「明らかに、歴史的な医学的証拠の重要性が、イエスが死んだことを示した….彼の右の肋骨の間を突き刺したやりは、おそらく右側の肺に穴を開けただけでなく、心膜、心臓まで達し、それにより彼の死が確実になった。[13]しかし、この判定に疑念が起こるのは自然なことです。 なぜなら、このケースは2千年も手をつけられていなかったからです。少なくとも、私達にはセカンド・オピニオンが必要です。
それが見つかる場所のひとつは、イエスが生きていた頃のキリストを信じない歴史学者の著書です。これらの歴史学者たちのうち3人がイエスの死についてふれています。
- ルシアン(約120年~後180年)はイエスを十字架上で死んだソフィスト(哲学者)と呼んでいる[14]
- ヨセフス(約37~100年)は、「この頃、驚くべき行いをする賢者、イエスが現れた。私たちの中にいた指導者たちがイエスを非難したため、ピラトが十字架刑の判決をくだし、イエスを愛した者たちはそれを止めようとしなかった。」と記述している。[15]
- タキトゥス(約56~120年)は、「名前自体が語源となっているクリストスは、我々の代官ピラトの手によって、極刑で苦しんだ。」[16]
これは、1世紀の春のある日、記録保管所でイエスが十字架にかけられて死んだ内容の記事を一面記事で取りあげたエルサレム・ポスト新聞を見つけたようなものです。調査結果は悪くなく、結構確実です。
実際には、キリスト教徒、ローマ人、またはユダヤ人による、イエスの死または埋葬について議論した歴史的説明はありません。復活を認めない無神論学者でさえも、イエスが死んだことについては認めています。有名な懐疑派のジェームズ・テイバーは「ローマの十字架刑においてイエスが処刑されて死んだという事実は疑いようがないと思う。」と述べています。[17]悪評で有名な懐疑的イエス・セミナーの共同創立者であるジョン・ドミニク・クロッサン氏は、イエスが本当に存在していて死んだことを認めている。彼は「イエスが十字架にはりつけになったことは他の歴史的事実と同じくらい間違いようがない」と述べています。[18]そのような証拠の明るみの中で、先の5つの選択のうちの1番目は除外していいように思います。イエスは確かに死んだのです。「それには何の疑いもありません。」