何故イエスによる活動が成功したか
モリソン博士はその事実によって当惑しました。「小さなたいしたことない動きが、ローマ勢力はもちろん、ユダヤ人組織の抜け目ない支配力より優位に立つことができた」反対する他の全ての勝算を前にしていながら、なぜそれに勝つことができたのでしょうか?
彼はこう書き留めました。「20年以内にガラリヤの田舎者たちの主張がユダヤ教会を崩壊させた。50年たたないうちに、今度はローマ帝国の平和を驚かし始めた。言えることを全部言い終わったら、最大の謎に直面し立たされている。何故、それが勝てたのか?」[35]
全ての権限によって、もし復活がなかったら、弟子たちが命が惜しくて逃げた時点で、イエスの影響力と受け継いだものが十字架とともに消えるべきでした。しかし、使徒たちが大きく広げつつある活動を促進し続けました。
J.N.D.アンダーソン氏はこう記しました。「ある日上の部屋で、挫折し小さくなった臆病者たちの小さな集団だったのが、数日後には迫害でさえ黙らすことのできない一団へと変身し、そしてそれから、この劇的な変化の原因を受け入れようのないお粗末な嘘のせいにしようとしている-その様子を思い浮かべるという心理的なばかばかしさを考えてみろ。そんなことしても、ただ訳わからないだけだ」[36]
イエスがよみがえったという信念は、山火事のごとく急速に使徒たちから次の世代へと広まっていきました。何代かにわたるローマ皇帝たちが次から次へと、拷問や死の脅威で彼らの確固たる信念を消滅させようと試みましたが、無駄でした。男性も女性もみんな、彼らのよみがえった主を否認するくらいなら死んだ方がましだと思っていました。学者の多くは(古代評論家の言い方をすれば)【殉教者の血は教会をつくる元となった種】だと信じていました。
歴史学者のウィル・デュラントは「カエサル(ローマ皇帝)とキリストが土俵に立って、キリストが勝った」と述べました。[37]
驚きの結末
除外された作り話と妄想と不備のある分析、空っぽの墓に対する疑う余地のない証拠、イエスの再出現に対する目撃者の実体、不可解な変化や彼を目撃したと主張する人々の世界への影響などによって、モリソン博士はイエス・キリストの復活に対するあらかじめ考えてた先入観は間違いであったと確信するようになりました。彼は新しい結論を列挙するのに『石を動かしたのは誰か?』というタイトルの別の本を書き始めました。モリソン博士は、真相が明らかになるまで、一つ一つの手がかりをもとに、とにかく証拠の痕跡をたどりました。彼が驚いたのは、その証拠によってイエスの復活を信じることに至ったことでした。
『書かれることを拒絶した本』という、彼の本の第一章では、かつて懐疑派であった彼が、イエスの復活は歴史上実際にあった出来事だったと、どのように証拠に納得させられたのかを説明しています。「例えば、ある人が森林を抜けようと、見慣れたよく踏みならされた道を歩いてたのに、突然、予想もしていなかった場所に出た、そんな感じだった」[38]
モリソン博士だけではありません。数え切れないほどの他の懐疑派たちがイエス復活の証拠を吟味し、人類史上で最も衝撃的な事実だと認めました。もう1点だけ熟考してみましょう。
呆然とした教授
もともと復活がただ単に伝説だったと信じていたけれど、モリソン博士と同じように考えを逆転させることになった者の一人は、世界で先に立つ法律学者の一人、サイモン・グリーンリーフ教授です。グリーンリーフ教授はハーバードのロースクール(法科大学院)を有名にしました。彼は3巻にわたる法律の名作『証拠についての法規論文』を書き、それは『訴訟手続きの全文学における最も偉大な一つの権限』と呼ばれています。[39]米国の司法システムは今日でもなお、グリーンリーフ教授によって確立された証拠の規則に頼っています。
ハーバード大学で法律を教えている間、グリーンリーフ教授はイエス・キリストの復活は単なる伝説だと言っていました。無神論者として、彼は奇跡など不可能だと思っていたのです。反論で、受け持った法学部の生徒3人は、高く評価された教授の証拠の規則を復活の話にあてはめてみたらどうなるかと、挑戦を挑みました。
何度も言われた後でやっと、グリーンリーフ教授は生徒からの挑戦を受け入れ、証拠を調査し始めました。彼の優れた法の精神を歴史の事実に集め、グリーン教授は復活の話が本当ではないということを証明しようと試みました。
しかし、グリーンリーフ教授が歴史の記録を調査すればするほど、イエスが確かに墓からよみがえったという主張を立証する強力な証拠に唖然とさせられたのでした。グリーンリーフ教授の懐疑的な態度は、人類の歴史の方向を変えた一つの出来事に挑まれました。
グリーンリーフ教授は、イエスが死んですぐに起きた目覚ましい変化の数々(最も困惑させた変化が弟子たちの行動の変化であること)について説明できずにいました。イエスが生き返ったと強く主張した弟子は一人や二人だけではなく、全員でした。彼のいう証拠の規則を事実にあてはめると、グリーンリーフ教授は評決にたどりつきました。
衝撃的な彼の見解の逆転で、グリーンリーフ教授はイエスの復活を、十字架刑執行の直後に出来事に対して最も納得のいく説明だと認めました。この優秀な法学者であり元無神論者には、弟子たちがもしよみがえったキリストを実際に目撃していなかったのだとしたら、イエスがよみがえったという信念を主張し続けることは不可能だったに違いありません。[40]
『福音伝道者の証言』という彼の著書の中に、グリーンリーフ教授は自分の考え方を変えた証拠を書き記しています。彼の結論として、復活についての真実を求める者たちに、証拠を公平に分析するよう促しています。
グリーンリーフ教授は証拠によってあまりにも説得させられたので、イエスを信仰し、信奉する者となりました。グリーンリーフ教授は、裁判所でするように、証拠を正当に調べる先入観を持たない人は、彼と同じ結論-すなわち、イエス・キリストが本当によみがえったこと-に達するだろうと確信しています。[41]
しかし、イエス・キリストの復活は疑問を生じさせます。【イエスが死に打ち勝ったという事実が、自分の人生にどう関係するのか?】
イエスは、私たちの死後について話しただろうか?
もしイエスが本当に死人からよみがえったとしたら、それでは彼しか死後の世界について知らないことになります。イエスは私たちの生命と将来の意味について何と言ったでしょうか?神の元への方法はいろいろあるのでしょうか、それともイエスが唯一の方法だと主張していますか?驚くべき答えを、『何故イエスなのか』のページで読んでください。
イエスが生命に意味をもたらすことができるか?
生命の意味について次の大きな質問にイエスがどう答えているかを知るには、ここをクリックしてください。
- 自分は誰なのか?
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