アブラハムとモーセの神
イエスはいつも彼の言葉を聞く者達を困惑させるような言い方でイエス自身の事を話しました。「アブラハムが生まれる前に、私は存在した」[11]、マルタや彼女と一緒いた人達に「私は甦りであり、いのちである。私を信じる者は死んでも生きるのです」と語り、「私は世の光です」そして「私は道であり真理でありいのちなのです」[12] 様な大胆な発言をしたとパイパー氏は記しています。これらの言葉や、多くのイエスの言葉は神が自身を現した神聖な言葉:私は存在するもの(ego eimi)が先にあってあるものです。これらの事を語った時、イエスは何を意味していたのでしょうか?ー私は存在するーという言葉の重要性は何でしょうか、なぜイエスはこの言葉を使い続けたのでしょうか?[13]
ここで私達は、どのような背景があるのかに再度戻らなくてはなりません。ヘブル語の聖書記述ではモーセが燃える芝の前で神に名前を尋ねた時、”私はある(ジェホバ)”と答えたのです。神はモーセにジェホバが唯一の神であり、時間の外側で常に存在していると語ったのです。驚くべき事に、イエスはこの神の聖なる名前であるー私は存在するーを自分を表す言葉として使っていたのです。なぜ、そんな事をしたのでしょうか?
モーセの時から、ユダヤ教を実践してる者達の中に自分の事や他人であってもー私は存在するーと自称した人はありませんでした。ですから、イエスがー私は存在するーであると主張した事はユダヤのリーダー達を激怒させたのです。たとえば、ある時にはあるリーダー達はイエスを殺そうとした理由を「お前はただの人間なのに、神であると主張するからである」と言ったのです。[17]
イエスが神の名前を使った事が宗教家達を怒らせたのです。なぜでしょうか?旧約聖書学者達はイエスが言っていた事を完全に判っていました。ー彼は神であり、宇宙の創り主だと主張しているーという事でした。イエスが不敬罪で告発されたのはその理由である事で判ります。聖書のテキストで読みこんでいくならば、イエスが神であると主張した事がはっきりと認められるのは、単純にその言葉だけでなく、それを聞いた者達のリアクションからも知る事ができます。(イエスが神である事をY-Jesus .com/Evidebce読む事ができます)
ケンブリッジ大学教授のC.S ルイス師は、始めはイエスを神話だと考えていました。しかしこの神話を詳しく知っている文学の天才はイエスが本当に存在した人物でなければならなかったと結論付けたのです。それだけでなく、ルイスがイエスの証拠を調査した時にイエスが実在した事が本当だっただけでなく、彼のような人は他には決していなかったと確信しました。ルイス師はこう書いています「ここに、本当のショックがあるんだ、ユダヤ人の中から突然自分自身が神であるという人物が現れ、罪を赦す事を語り、彼は常に存在していたと言い、世の終わりの時に彼は裁きに来たと言う」[18]
ルイス師にはイエスの主張した事は普通の教師や宗教家達によって創作された物ならば単純に過激すぎるし、難解であった。