もう1人、イエスはただの神話であるとみなしている人がいました。イギリスのジャーナリスト、マルコム・マガリッジです。ある時、テレビ局との仕事でイスラエルを訪れたマガリッジは、そこで空想上の人物だと思っていたイエスに関する史跡を訪れました。イエスの生誕地であるベツレヘムやナザレの町、処刑場、そしてイエスの空の墓石-これらを見てまわるうちに、イエスがまるでそこにいるかのような感覚に襲われ出したのです。
後に彼はこう述べています。
「私はその時、新約聖書に関するBBCテレビの番組を作るために聖地を訪れていました。するとイエスの誕生や伝道活動、十字架ではりつけにされたことなどは、すべて実際の出来事だったのだという思いが込み上げてきました。そして気づいたのです。確かにイエスという男性が実在し、彼は神であるということに。」[14]
辛口の批評で知られた18~19世紀のドイツ人学者たちは、福音書に登場するポンティウス・ピラトや大祭司カイアファといった、イエスの生涯に深く関わった人物に関する記述が信憑性に欠けるとして、イエスの存在に疑問を呈しました。20世紀半ばまで、彼らの主張に対する反証はでてきませんでした。
1962年、考古学者がピラトの名が刻まれた石碑を発掘し、彼が実在の人物であったことが証明されました。同様にその存在が不確かだったカイアファも、1990年、彼の名が刻まれた墓石が見つかり実在したことが確認されました。また、サイモン・ペテロの家と、洗礼者ヨハネが洗礼に利用した洞窟も、考古学者たちにより発見されたのでした。
最後に、おそらく最も説得力のある証拠として、彼の信徒が爆発的に増加したという事実があります。イエス抜きにこのようなことは起こりえません。漁師や他の仕事に従事していた男達が、どうやってわずか数年の間にイエスという人物を作りあげることができたでしょう。デューラントは、「イエスは実在したか?」という自身の問いに次のような結論をもって答えています。
「当時の人々が、わずか1世代の間にイエスというパワフルで魅力に富み、高尚かつ道徳的な人物を作り上げることができたというのなら、それこそが福音書に記録されたどの奇跡よりもはるかに素晴らしい奇跡といえるだろう。その後2世紀に渡ってその生涯や人格、教えに至るまで厳しい批判にさらされたにも関わらず、イエスは我々西洋人にとって明らかに歴史上最も魅力に富んだ存在であるといえるだろう。」