誰もが、死後どうなるのか考えたことがあるかと思います。愛する人が亡くなると、自分が死んだ時に会えるだろうことを願わずにはいられません。我々は亡くなった者との再会を果たすことができるのでしょうか、それとも死は意識を感じる最後の時でしかないのでしょうか?
イエスは、体が死んでも生命が終わることはないと教えました。『わたしはよみがえりであり、生命(いのち)なのです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです』と、このようにイエスは驚くべき主張をされました。イエスに身近な目撃者によれば、イエスはその後、十字架に張りつけにされ、埋葬された日後に死人からよみがえることで、死を超える力を明らかにされました。約千年の間人々へ希望を与えてきたのが、このことへの信仰です。
しかし、中には死後に命の希望を持たない者もいます。無神論者であり哲学者のバートランド・ラッセルは『私が死んだら、腐敗するだけで自我は全く残らないと信じている』と書き残しています。ラッセルがイエスの言葉を信じていなかったことは明白です。[1]
イエスの信者たちは、十字架上の死と埋葬を終えた後にイエスが彼らの前に生きた姿で現れた、と書きとめています。イエスを目撃したとの主張だけではなく、イエスと一緒に食事をしたこと、イエスに触ったこと、そして40日間共に過ごしたことをも主張しています。
それでは、これは年月をかけて作り上げた物語でしかないのでしょうか?それとも確実な証言に基づいたものであるのでしょうか?この質問に対する答えが、基礎をなしています。もしイエスが死人からよみがえったのであるとすれば、イエスが自分自身について語ったこと、生(命)の意味、私たちの死後の運命について全てのことが立証されます。
もしイエスが死人からよみがえったのなら、イエスだけが生命とは何か、人は死後どうなるのかという問いへの答えを持ち合わせていることになります。逆に、イエスの復活の根拠が真実でないなら、それではイエスを信じている人たちは、信念体系を嘘の上に築いていることになります。神学者のR.C.スプロールは次のようにまとめています。
『復活したという主張は不可欠である。もしキリストが神によって死人からよみがえらされたのであるなら、キリストは他の宗教指導者が持たない実績と証明を持っている。仏陀(釈迦)は死んでいる。モハメッド(ムハンマド)も死んでいる。モーセも死んでいる。孔子も死んでいる。しかし、キリストは生きている。』[2]
これまで多くの人がイエスの復活を反証しようとしてきました。ジョシュ・マクドウェルはそのような疑い深い人の一人で、イエスの復活の証拠を探求するのに700時間以上かけました。マクドウェルはイエス復活の重要性について、こう述べています。
『私の達した結論では、イエス・キリストの復活は、人間の心に挿入された不道徳かつ悪質で冷酷極まりないでっち上げであるか、もしくは、史上最高の素晴らしい事実であるか、真逆の2つのうちどちらかでしかありえない。』[3]
さて、イエスの復活は素晴らしい事実であるのか、悪質な作り話であるのか?それを知るには、歴史の証拠を自分の目で見て、自分自身の結論に導く必要があります。イエス復活について調査した疑い深かった人たちが、自分達のために何を発見したのか見てみましょう。
キニク学派と懐疑派
悲しいことに、みんなが証拠を公平に分析しようとするわけではありません。バートランド・ラッセル氏のイエスに関する分析は、歴史上の事実に関係ないと認めています。[4] 歴史学者ジョーゼフ・キャンベル氏は、証拠を引用することをせずに、PBSテレビの視聴者に対して、イエスの復活は事実に基づく出来事ではないと落ち着いて言いました。[5]イエス・セミナーで知られるジョン・ドミニク・クロッサン氏も含め、他の学者たちは彼に同意しています。[6]これらの懐疑派たちのなかで、自分達の見解に対する証拠を提示してるものは誰もいません。
キニク学派とは対照的に、本当の懐疑派は証拠に興味があります。「懐疑派とは何か?」というスケプティックス雑誌の記事には次のような定義が与えられています。
「懐疑論とは、ありとあらゆる考えに対する論理の活用である。『聖牛』も例外ではない。懐疑派はある事実が本当かもしれないとか、ある主張が真実かもしれないといった可能性を消してしまうような探求はしない。『懐疑的』とは、信じる前に説得力のある証拠が必要であるということだ。」[7]
ラッセルやクロッサンと違い、真の懐疑派の多くはイエス復活に関する証拠調査を行っています。一部の懐疑派から話を聞き、人類の歴史でおそらく最も重要な疑問【イエスは本当に死人からよみがえったのか?】に対する証拠をどう分析しているのか調べてみましょう。
自己予言
生前、イエスは自分が裏切られ、拘束され、十字架にかかって死ぬだろうこと、その3日後に生き返るだろうことを弟子たちに伝えました。不思議な考えですね!その裏には何があったのでしょうか?イエスは要求に応じて人を楽しませるエンターテイナーではありませんでした。代わりに、自分の死と復活が、自分が確かに救世主(メシヤ)であったと人々に(もし心が受け入れるなら)証明することになると約束しました。
聖書学者ウィルバー・スミス氏はイエスについてこう述べています。
イエスが「自分は十字架にかかって死んだ後3日目によみがえるであろう」と言った。弟子達の信仰心の継続を期待していながら、本当によみがえることを確信していたのでなければ、愚か者しかあえて言わないような愚かな発言だった。この世で知られてる限りの宗教の創始者でそのようなことをあえて言った者はいなかった。[8]
別の言葉に置き換えれば、イエスが弟子達に自分の死後の復活を伝えたのだから、その約束を守れないことはイエスが詐欺師だと暴露されることになります。しかし、我々は先走りしています。イエスはよみがえる前にどのように(もし本当に死んだのだとすれば)死んだのでしょうか?
恐ろしい死とその後は?
もし、ザ・ロードウォーリアーやブレイブハートでおなじみのメル・ギブソンによる映画を観たことがあるなら、イエスの地上の人生の最後の数時間がどんなものであったかお分かりであろうと思います。もし、目を逸らしてしまったためにキリストの受難の部分を見なかったのであれば、(カメラに赤いフィルターをつけて映画を撮影した方が簡単でしたね)、何を見損ねたのか知るために、あなたの新約聖書にある4つの福音書のうちどれかの最後の方のページをめくってみてください。
イエスが予言したように、彼は自分自身の弟子の一人であるイスカリオテのユダに裏切られ、拘束されました。ローマ総督ポンテオ・ピラトの下、模擬裁判によって、反逆罪で有罪判決を受け、木の十字架刑の死罪の判決を下されました。イエスは十字架に打ち付けられるに前に、キャットオブナイテイル(=先端に肉体を引き裂く骨と金属のついた鞭)で容赦なく打たれました。イエスは何度も何度も殴られ、蹴られ、唾を吐きかけられました。
その後、木槌を使って、ローマ人の死刑執行人がイエスの手首と足に重い錬鉄製の釘を打ちつけました。最後に彼らは、有罪判決を受けた2人の泥棒の架かった2つの十字架の間に、イエスの十字架を穴に差しこみました。
イエスはおおよそ6時間ほどつるされました。そして、午後3時-すなわち、過越の祭の羊が罪に対する生贄(少し、イエスがその羊を象徴してると思いませんか?)としてささげられるまさにその時刻-にイエスは「終った(アラム語で)」と叫び、息を引き取りました。[9]突然、空が暗くなり、地震が起こりました。[10]
ピラトは十字架の死体を埋葬する許可を与える前に、イエスが確かに死んだと確認したかったので、ローマ兵はイエスの体を脇から突き刺しました。体から流出した血と水の混ざった液体が、イエスの死を明確にしました。イエスの体はその後十字架から降ろされ、アリマタヤのヨセフの所持する墓に埋葬されました。ローマ兵たちが次に墓を封印し、24時間体制で守護につきました。
それまでの間、イエスの弟子たちは衝撃を受けていました。J.P.モアランド博士は、弟子たちがイエスの十字架上の死の後でいかに打ちのめされていて混乱していたか、次のように説明しています。「弟子達はもはや、イエスが神からの使者だったという自信を失っていました。彼らはまた、神は救世主に死の苦しみを与えることはしないと教えられてきたからです。それで、彼らは散り散りになりました。イエスによる活動の流れがほぼ停止してしまった状態でした。
全ての希望が打ち破れました。ローマとユダヤ人指導者が勝利を得た-そのように見えました。
起こったこと
でも、それで終わりではありませんでした。イエスによる活動が消えてしまうことはなく(明確ですね)、実際はイエスが死体からよみがえったと主張する者の数が、この世の主な宗教のどれを信じる者の数よりも上回っています。それゆえに、イエスの体が十字架から取り外されて埋葬された後に何が起こったのか、私たちは知ることができたのです。
ニューヨークタイムズ雑誌の記事で、ピーター・スタインフェルズはイエスの死後3日後に起きた驚くべき出来事についてこう挙げています。「イエスが処刑された後すぐに、弟子達は途方にくれて縮こまった集団から、生きているイエスと来るべき王国について伝える人々へと奮い立たされ、命の危険を覚悟して伝導し、最終的にローマ帝国を変えた。何かが起きた。しかし、一体何が起こったというのか?」[12]それが、私たちが事実調査をもって答えなければいけない疑問です。
新約聖書に描かれた、イエスの疑わしい復活に対してありえる可能性は5つしかありません。
- イエスは本当は十字架で死ななかった
- 復活は陰謀によるものだった
- 弟子達が幻をみていた
- 話は伝説的である
- それは本当に起こった
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これらの選択をもとに、どれが一番事実にあてはまるか見てみましょう。
イエスは死んでいたか
「マーリーはドアの釘のように死んでいました。それには何の疑いもありません」チャールズ・ディケンズのクリスマス・キャロルがそう始まってるのは、著者がこれから起こる予定の超自然的な状態と間違えて欲しくなかったためです。同様に、私達がCSI(=犯罪現場操作)の役割を引き受け復活の証拠をつなぎ合わせる前に、実際に死体があったことを証明しなければなりません。というのは、死体安置所の死体が動きだし回復したと、時々新聞に載っているからです。イエスにもこれと同じようなことが起こった可能性があるでしょうか?
一部の人は、イエスが十字架にはりつけの間生きていて、墓の中の涼しく湿った空気によって意識を回復させた可能性を提案しています。しかしながら、その説は医学的証拠と一致しません。米国医師会の学会誌の記事は、何故このいわゆる【気絶理論】が通らないか、次のように説明しています。「明らかに、歴史的な医学的証拠の重要性が、イエスが死んだことを示した….彼の右の肋骨の間を突き刺したやりは、おそらく右側の肺に穴を開けただけでなく、心膜、心臓まで達し、それにより彼の死が確実になった。[13]しかし、この判定に疑念が起こるのは自然なことです。 なぜなら、このケースは2千年も手をつけられていなかったからです。少なくとも、私達にはセカンド・オピニオンが必要です。
それが見つかる場所のひとつは、イエスが生きていた頃のキリストを信じない歴史学者の著書です。これらの歴史学者たちのうち3人がイエスの死についてふれています。
- ルシアン(約120年~後180年)はイエスを十字架上で死んだソフィスト(哲学者)と呼んでいる[14]
- ヨセフス(約37~100年)は、「この頃、驚くべき行いをする賢者、イエスが現れた。私たちの中にいた指導者たちがイエスを非難したため、ピラトが十字架刑の判決をくだし、イエスを愛した者たちはそれを止めようとしなかった。」と記述している。[15]
- タキトゥス(約56~120年)は、「名前自体が語源となっているクリストスは、我々の代官ピラトの手によって、極刑で苦しんだ。」[16]
これは、1世紀の春のある日、記録保管所でイエスが十字架にかけられて死んだ内容の記事を一面記事で取りあげたエルサレム・ポスト新聞を見つけたようなものです。調査結果は悪くなく、結構確実です。
実際には、キリスト教徒、ローマ人、またはユダヤ人による、イエスの死または埋葬について議論した歴史的説明はありません。復活を認めない無神論学者でさえも、イエスが死んだことについては認めています。有名な懐疑派のジェームズ・テイバーは「ローマの十字架刑においてイエスが処刑されて死んだという事実は疑いようがないと思う。」と述べています。[17]悪評で有名な懐疑的イエス・セミナーの共同創立者であるジョン・ドミニク・クロッサン氏は、イエスが本当に存在していて死んだことを認めている。彼は「イエスが十字架にはりつけになったことは他の歴史的事実と同じくらい間違いようがない」と述べています。[18]そのような証拠の明るみの中で、先の5つの選択のうちの1番目は除外していいように思います。イエスは確かに死んだのです。「それには何の疑いもありません。」
空っぽの墓の事件
真面目な歴史家で、イエスが十字架から取り外されたときに彼が本当に死んでいたか疑う人はいません。しかしながら、イエスの死体が墓からどうやって消え去ったのか疑問に思っている人は大勢います。イギリスのジャーナリスト、フランク・モリソン博士は、最初、復活は作り話かデマのどちらかだと思っていたので、復活を反証する本を書くためににリサーチを始めました。[19]その本が有名になりましたが、本来の意図ではない別の理由によってです。
モリソン博士は空っぽになった墓の一件の解決を試みることから始めました。その墓は、サンヘドリン議会のメンバーであったアリマタヤのヨセフのものでした。当時のイスラエルでは、議会のメンバーであるということは、ロック・スターのようなものでした。議会のメンバーが誰か、誰もが知っていました。ヨセフが存在した人だったことに間違いはないでしょう。そうでなければ、ユダヤ人の指導者たちが復活を反証をするのに、話は詐欺だったと暴露したことでしょう。それに、ヨセフの墓がよく知られた場所にあって簡単に確認できたこともあって、イエスの体が「墓地で失われた」などといった考えはそれっきりにするしかありませんでした。
モリソン博士は、もしその空っぽ墓話が実話でなかったなら、イエスの敵は何故それが真実だと言い続けることを許したのか?と疑問に思いました。イエスの死体が発見されれば、即座にその構想全体を潰したことでしょう。
そして、イエスの敵について歴史的に知られているのは、イエスの弟子たちが死体を盗んだと非難していることと、それによって墓が空っぽだったという共通の考えが断定されたということです。
ウェスタン・ミシガン大学のポール・R・マイヤー博士は似たような内容を述べています。「全ての証拠が慎重にかつ公平に評価されているのなら、イースターの朝、イエスが埋葬された墓の中が実際に空だったと決断を下すには、確かに筋が通っている。そして、この供述を反証できる証拠は少しも見つかっていない。」[20]
ユダヤ人指導者たちは唖然としました。彼らは、弟子達にイエスの死体を盗んだと非難しました。しかし、ローマ人たちは、訓練された守衛部隊(4~12人で構成される)に墓を24時間体制で守護するよう命じてありました。モリソン博士は、「これらのプロたちが、どうやってイエスの死体を荒らさせることができたというのか?」と問いかけています。誰かがローマ人守衛をすり抜けて、2トンもする墓石を動かすなんて、不可能だったに違いないのです。それにもかかわらず、墓石は動かされ、イエスの死体が行方不明になったのです。
もしイエスの死体がどこかで見つかりそうなら、イエスの敵が急いで復活なんて嘘だと暴露したことでしょう。カリフォルニア州法廷弁護士協会の元会長トム・アンダーソン氏はこの議論の長所をこうまとめています。
周知の出来事ですから、歴史家、目撃者、論争相手から一人くらいはキリストの体を見たと永遠に記録していたとしてもおかしくないと思いませんか?復活に対する証言になると、歴史の沈黙が音を消してしまっているのです。[21]
そうすると、主体のない証拠と、確実に墓が空だったという周知の事実によって、モリソン博士はイエスの死体が墓からなんらかの理由で消えたという証言は信用できると認めました。
墓荒らし?
モリソン博士は調査を続けるにあたって、イエスの弟子の動機を調べ始めました。もしかしたら、復活だと思われてたのは実際は死体が盗まれただけだったのかもしれません。しかし、仮にそうだとすれば、復活したイエスの出現はどう説明するのでしょうか?ユダヤ人の歴史を研究している歴史学者ポール・ジョンソン氏はこう記しています。「重要なのはイエスの死の状況ではなく、イエスがよみがえったということが、広がりつつある人々の輪によって、広くかたくなに信仰されているという事実であった」[22]
その墓は確かに空っぽでした。しかし、イエスの信者を駆り立てたのは、死体の単なる不在ではありませんでした。(彼らが死体を盗んでた張本人だったならなおさらです。)何か特別なことが起こったに違いありません。というのは、イエスの信者は喪に服すのをやめ、隠れるのもやめ、生きている姿のイエスを見たと恐れずに公表し始めたからです。
それぞれの目撃者の証言によれば、イエスは突然、信者の前に体ごと現れ、最初に見た者は女性の信者でした。モリソン博士は陰謀者が何故そのプロットの中心に女性をおいたのか疑問に思いました。最初の世紀では、女性には権利、個性、立場がないも同然でした。もし策略が成功していたなら、陰謀者たちは最初に生きているイエスにを目撃したの者として、女性ではなく、男性を描いたであろうとモリソン博士は推論しました。それでもなお私たちが聞くのは、女たちがイエスに触れ、彼と言葉を交わし、そして空っぽの墓を最初に見つけたということです。
後に、その目撃者の証言によって、全ての弟子がイエスを10回以上、それぞれ別の機会で目撃したそうです。イエスが弟子達に自分の手と足を見せ、触るように言ったと弟子たちは書き記しています。そして、伝えられるところによると、イエスは弟子たちとともに食べ、その後、ある時500人以上の信者の前に生きた姿で現れたそうです。
法律学者のジョン・ワーウィック・モンゴメリは「西暦56年にキリストの使徒パウロが、500人を超える人が生き返ったイエスを目撃していて、その目撃者のほとんどがまだ生存していると書いた(コリント人への弟一の手紙 15章6節)」と述べています。そのような物語がでっち上げられ、それから、単にイエスの体をつきつけることで簡単に反証できる人々の間で伝えたという説は、信憑性の限界を過ぎました。[23]
歴史学者のガイスラーとトュレックは賛同しています。「もし復活が起こらなかったのなら、使徒パウロは何故そのような目撃者だと思われる者のリストを与えたのか?露骨に嘘をついたことで、パウロは即座にコリント人の読み手の信頼性全てを失うことになっただろう」[24]
十二弟子の一人ペテロはカイザリヤの大衆に、自分や他の弟子達がイエスが生きてることに何故そんなに確信できたのかを話しました。
わたしたちは、イエスがこうしてユダヤ人の地やエルサレムでなさったすべてのことの証人であります。人々はこのイエスを木にかけて殺したのです。
しかし神はイエスを三日目によみがえらせ、 <省略>わたしたちは、イエスが死人の中から復活された後、共に飲食しました。
イギリスの聖書研究家マイケル・グリーンはこう述べています。「イエスの数々の出現が本当であることは、他の古代のことに劣らずよく証明されているし、それらが本当に起こったということに疑いの余地はない」[25]
最後まで矛盾なく
目撃者の証言がモリソン博士の懐疑的な態度に挑むに足りなかったように、彼もまた、弟子たちの行動に困惑していました。歴史家、心理学者、懐疑論者を一様に困惑させた歴史の一事実は、この11人の元臆病者たちが屈辱や拷問や死の苦しみを恐れず、むしろそれを喜びと感じるようになりました。イエスの弟子たちのうち一人を除いて、殉教者として殺されました。彼らが死体を移動させたのを知りながら、一つの嘘のためにそこまでやったと思いますか?
9月11日のテロのイスラム殉教者は誤った動機で死ぬ人がいることを証明しました。それにもかかわらず、周知の嘘のために自分から進んで殉教するのは狂気の沙汰としか思えません。ポール・リトルが書いたように、「本当はそれが間違ってるかもしれないとしても、人は自分が真実だと信じたことのためなら死ねるだろう。しかしながら、嘘だとわかってることのためには死なないものだ。」[26]イエスの弟子たちは、彼らの指導者が生きていたという純粋な信念とともに、一貫性のある方法で行動しました。
弟子達が何故、周知の嘘のために喜んで死ぬのか、的確に説明できた人はいません。しかし、彼らがみんなでイエスの復活について嘘をつくことを企てたのだとしても、金や地位のために裏切るものが一人もいないまま、何十年もの間どうやって陰謀を保ち続けることができたのでしょうか?モアランド氏は、「個人の利益のために嘘をつく人は、ずっと一緒に行動することはないし、困難が利益を減少させる場合はなおさらだ」と記しています。[27]
ニクソン大統領の政権の期間にウォーターゲートのスキャンダルに関与していたチャック・コルソンは、数人の人が一つの嘘を長期間にわたって維持することの難しさを指摘しています。
「私は復活が事実だったとわかっているし、ウォーターゲート事件がそれを証明してくれた。どのように証明したか?なぜなら、12人がイエスがよみがえったのをこの目でみたと証言し、40年間もの間一度もそれを否定することなく、その真実を明らかにしていた。それぞれが痛めつけられ、拷問にかけられ、石打ちで殺され、牢に入れられた。もしイエスの復活が真実でなかったなら、それに耐えることはなかっただろう。ウォーターゲート事件は世界において最も権力のある12人を巻き込み、そして彼らは一つの嘘を3週間つき通すことができなかった。なのに、12人の使徒が40年間も嘘をつき通すことができたっていうのかい?絶対に不可能だ」[28]
これらの男女にとって何もかも変えた出来事があったのです。モリソン博士は次のことを認めています。「この問題にたどりついた者はみな、遅かれ早かれ、言い逃れできない事実に直面しなければならない。この事実とは、深い信念、つまり【イエスが墓からよみがえったという事実を証言する変化】が小さな集団の人々に生じたことです。
弟子達は幻覚を起こしていたのか?
今でもなお、太って白髪のエルビス・プレスリーがドーナッツ屋に駆け込むのを見たと思っている人がいます。それに、言い表せない検査に従い、宇宙船の中で宇宙人と最後の晩を過ごしたと信じている人もいます。
時々、自分が見たいと望んでいるものが、本当はそれは存在しないのに、見える人がいるようです。そのため、イエスの弟子たちが十字架の死であまりに取り乱し、生きているイエスに会いたいという願望が大きな幻覚を引き起こしたと主張する人がいるのです。もっともらしく思われますか?
アメリカ・キリスト教カウンセラー協会の元会長である心理学者ゲイリー・コリンズ氏は、急速に変化した弟子たちの行動の裏には幻覚があったという可能性について聞かれました。コリンズ氏はこう述べています。「幻覚は、個々に発生するものだ。その本質上、1回につき、あたえられた一つの幻覚を、一人の人しか見ることができない。絶対に、集団で見れるものではない。[30]
心理学者トーマス・J・ソアバーン氏によれば、幻覚はわずかの可能性すらありえないそうです。普通の健全な心を持つ500人の個人がありとあらゆる感覚的(視覚、聴覚、触覚など)な印象を体験するということや、これら全ての体験が完全に幻覚によるものでなければならないということは絶対にありえない。[31]
その上、幻覚の心理学では、幻覚を見る人はあまりにその人に会いたいがために、心がそれを作りだすといった心の状態になければいけません。
初期の教会で重要な指導者だった2人ヤコブとパウロはどちらも、生き返ったイエスに遭遇しましたが、予期してたわけでも、喜びを期待してたわけでもありませんでした。使徒パウロは、実際最初の頃はイエスの信者を迫害した指導者でしたが、イエスが生き返って彼の前に現れたという彼自身の証言を除いて、彼の改宗は不可解なままです。
幻覚の理論も行き止まりのようです。復活以外にどう説明できますか?
嘘から伝説へ
一部の納得できない懐疑派は、復活話の原因を、生き返ったイエスを見たと嘘をついたもしくは考えた人(一個人か複数)によって始められた伝説のせいにしました。時間が経つにつれ、伝説が語り継がれるごとに尾ひれがついて大きくなったのだと。
表面的には、もっともらしいシナリオのようでした。しかし、その理論には大きな3つ問題があるのです。
まず、複数の目撃者が反論活動してる間は、伝説が単に作られることはありません。古代ローマ、ギリシャの歴史家A.N.シャーウィン-ホワイトは、復活のニュースは伝説にしてはあまりにも早く、急速に広がったと主張しました。[32]
次に、伝説は昔からの言い伝えによって作られるのであって、実証できる現代史文書とはセットになっていません。しかし、福音書は復活から30年以内に書かれています。[33]
第三に、伝説の理論は、空っぽの墓の真相も、イエスが生きていたという歴史的に実証された使徒たちの信念についても、十分に説明なされていません。[34]
それゆえに、伝説の理論はこの驚くべき主張を言い逃れるための試みと比べて説得力はたいして変わらないようです。さらに、イエスキリストの復活の話は、イエスを信仰する12人を始めとし、歴史を変えました。彼らはローマ帝国全体とそれ以上の範囲に及んで変化をもたらし続けました。たった一つの伝説が、そんな短期間の間にどうやって歴史に巨大な影響を与えることができようか?
何故イエスによる活動が成功したか
モリソン博士はその事実によって当惑しました。「小さなたいしたことない動きが、ローマ勢力はもちろん、ユダヤ人組織の抜け目ない支配力より優位に立つことができた」反対する他の全ての勝算を前にしていながら、なぜそれに勝つことができたのでしょうか?
彼はこう書き留めました。「20年以内にガラリヤの田舎者たちの主張がユダヤ教会を崩壊させた。50年たたないうちに、今度はローマ帝国の平和を驚かし始めた。言えることを全部言い終わったら、最大の謎に直面し立たされている。何故、それが勝てたのか?」[35]
全ての権限によって、もし復活がなかったら、弟子たちが命が惜しくて逃げた時点で、イエスの影響力と受け継いだものが十字架とともに消えるべきでした。しかし、使徒たちが大きく広げつつある活動を促進し続けました。
J.N.D.アンダーソン氏はこう記しました。「ある日上の部屋で、挫折し小さくなった臆病者たちの小さな集団だったのが、数日後には迫害でさえ黙らすことのできない一団へと変身し、そしてそれから、この劇的な変化の原因を受け入れようのないお粗末な嘘のせいにしようとしている-その様子を思い浮かべるという心理的なばかばかしさを考えてみろ。そんなことしても、ただ訳わからないだけだ」[36]
イエスがよみがえったという信念は、山火事のごとく急速に使徒たちから次の世代へと広まっていきました。何代かにわたるローマ皇帝たちが次から次へと、拷問や死の脅威で彼らの確固たる信念を消滅させようと試みましたが、無駄でした。男性も女性もみんな、彼らのよみがえった主を否認するくらいなら死んだ方がましだと思っていました。学者の多くは(古代評論家の言い方をすれば)【殉教者の血は教会をつくる元となった種】だと信じていました。
歴史学者のウィル・デュラントは「カエサル(ローマ皇帝)とキリストが土俵に立って、キリストが勝った」と述べました。[37]
驚きの結末
除外された作り話と妄想と不備のある分析、空っぽの墓に対する疑う余地のない証拠、イエスの再出現に対する目撃者の実体、不可解な変化や彼を目撃したと主張する人々の世界への影響などによって、モリソン博士はイエス・キリストの復活に対するあらかじめ考えてた先入観は間違いであったと確信するようになりました。彼は新しい結論を列挙するのに『石を動かしたのは誰か?』というタイトルの別の本を書き始めました。モリソン博士は、真相が明らかになるまで、一つ一つの手がかりをもとに、とにかく証拠の痕跡をたどりました。彼が驚いたのは、その証拠によってイエスの復活を信じることに至ったことでした。
『書かれることを拒絶した本』という、彼の本の第一章では、かつて懐疑派であった彼が、イエスの復活は歴史上実際にあった出来事だったと、どのように証拠に納得させられたのかを説明しています。「例えば、ある人が森林を抜けようと、見慣れたよく踏みならされた道を歩いてたのに、突然、予想もしていなかった場所に出た、そんな感じだった」[38]
モリソン博士だけではありません。数え切れないほどの他の懐疑派たちがイエス復活の証拠を吟味し、人類史上で最も衝撃的な事実だと認めました。もう1点だけ熟考してみましょう。
呆然とした教授
もともと復活がただ単に伝説だったと信じていたけれど、モリソン博士と同じように考えを逆転させることになった者の一人は、世界で先に立つ法律学者の一人、サイモン・グリーンリーフ教授です。グリーンリーフ教授はハーバードのロースクール(法科大学院)を有名にしました。彼は3巻にわたる法律の名作『証拠についての法規論文』を書き、それは『訴訟手続きの全文学における最も偉大な一つの権限』と呼ばれています。[39]米国の司法システムは今日でもなお、グリーンリーフ教授によって確立された証拠の規則に頼っています。
ハーバード大学で法律を教えている間、グリーンリーフ教授はイエス・キリストの復活は単なる伝説だと言っていました。無神論者として、彼は奇跡など不可能だと思っていたのです。反論で、受け持った法学部の生徒3人は、高く評価された教授の証拠の規則を復活の話にあてはめてみたらどうなるかと、挑戦を挑みました。
何度も言われた後でやっと、グリーンリーフ教授は生徒からの挑戦を受け入れ、証拠を調査し始めました。彼の優れた法の精神を歴史の事実に集め、グリーン教授は復活の話が本当ではないということを証明しようと試みました。
しかし、グリーンリーフ教授が歴史の記録を調査すればするほど、イエスが確かに墓からよみがえったという主張を立証する強力な証拠に唖然とさせられたのでした。グリーンリーフ教授の懐疑的な態度は、人類の歴史の方向を変えた一つの出来事に挑まれました。
グリーンリーフ教授は、イエスが死んですぐに起きた目覚ましい変化の数々(最も困惑させた変化が弟子たちの行動の変化であること)について説明できずにいました。イエスが生き返ったと強く主張した弟子は一人や二人だけではなく、全員でした。彼のいう証拠の規則を事実にあてはめると、グリーンリーフ教授は評決にたどりつきました。
衝撃的な彼の見解の逆転で、グリーンリーフ教授はイエスの復活を、十字架刑執行の直後に出来事に対して最も納得のいく説明だと認めました。この優秀な法学者であり元無神論者には、弟子たちがもしよみがえったキリストを実際に目撃していなかったのだとしたら、イエスがよみがえったという信念を主張し続けることは不可能だったに違いありません。[40]
『福音伝道者の証言』という彼の著書の中に、グリーンリーフ教授は自分の考え方を変えた証拠を書き記しています。彼の結論として、復活についての真実を求める者たちに、証拠を公平に分析するよう促しています。
グリーンリーフ教授は証拠によってあまりにも説得させられたので、イエスを信仰し、信奉する者となりました。グリーンリーフ教授は、裁判所でするように、証拠を正当に調べる先入観を持たない人は、彼と同じ結論-すなわち、イエス・キリストが本当によみがえったこと-に達するだろうと確信しています。[41]
しかし、イエス・キリストの復活は疑問を生じさせます。【イエスが死に打ち勝ったという事実が、自分の人生にどう関係するのか?】
イエスは、私たちの死後について話しただろうか?
もしイエスが本当に死人からよみがえったとしたら、それでは彼しか死後の世界について知らないことになります。イエスは私たちの生命と将来の意味について何と言ったでしょうか?神の元への方法はいろいろあるのでしょうか、それともイエスが唯一の方法だと主張していますか?驚くべき答えを、『何故イエスなのか』のページで読んでください。
イエスが生命に意味をもたらすことができるか?
生命の意味について次の大きな質問にイエスがどう答えているかを知るには、ここをクリックしてください。
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