イエスが本当に救世主だったと言い張る証拠には何があるでしょうか?イエスがなりすましてた詐欺師ではないと言い切れるでしょうか?よく名の知れた詐欺師を取り上げてみて、偽者という肩書きがイエスに当てはまるかどうか、または彼の主張を裏付ける証拠があるかどうか調べてみましょう。
ファーディナンド・ウォルド・デマラ・ジュニアは偉大な詐欺師と呼ばれていました。デマラは心理学者、大学の講師、大学の学部長、学校の教師、刑務所長といった身分を偽っていました。彼は医者になりすまして手術さえも行いました。
ある人はフランク・アバグネイルの方がもっと酷い詐欺師だったと言います。16歳から21歳までの間にアバグネイルは世界的に成功した詐欺の達人の1人でした。彼は米国の50州全部と他26カ国で250万ドルに値する不正小切手を現金化しました。彼はまた、フランスの警察に逮捕されるまでの間に、航空会社のパイロット、弁護士、大学教授、小児科医に成りすますのに成功しました。
この話をどこかで聞き覚えがあるなら、それは多分2002年作の映画「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」を観たからだと思います。その映画の中でレオナルド・ディカプリオ(映画タイタニックで俳優になりすました)がアバグネイルの役を演じました。
詐欺師としてアバグネイルの腕前をあげるには何を必要としたでしょうか?さて、もしイエス・キリストが主張されている救世主でなかったなら、比較にならなかったでしょう。アバグネイルの場合のように、数千人を騙したことなんて話になりません。もしイエス・キリストが詐欺師だったなら、彼の詐欺は何十億もの人々を騙し、2千年の歴史の流れを変えたのですから。
それでは、イエスは最も注目すべき宗教学者たちを欺いて、偽の救世主になりすましていることができたでしょうか?イエスが両親か秘密の指導者によって、イスラエルが探し求めていた、長らく約束されている王になるべく躾けられていたということはないでしょうか?
実際は、もしイエスが詐欺師だったとしたら、イスラエルの歴史の中で救世主を偽った最初の1人ではなかったはずです。キリスト誕生前の何世紀、また誕生後の何世紀もの間、大勢の自称救世主たちが現れましたが、詐欺師であるか狂人であるかが明らかになっただけでした。
古代ヘブライの予言は、イスラエルに平和をもたらし、国民の救世主になる未来の王の治世をはっきりと予測していました。期待感が国を埋め尽くし、ユダヤ人の期待と願望を魅了しました。当時のイスラエルの雰囲気の中では、救世主に該当しなそうな人が無理に救世主の型にはめさせられたり、救世主の型にはまろうとしたりすることが可能だったのではないでしょうか?その質問の答えは、救世主を示している旧約聖書の予言にかかっています。
神の代弁者たち
聖書によると、ヘブル人たちの神は、宗教の確立の一部に携わった人またはそうでない人で、神と特に調和された男性や女性の預言者を通して国民に語りました。預言者から伝えられた予言は、現在のことについてであったり、また未来の予言であったりしました。いずれにせよ、預言者の役割は神の布告や民への発表を公示するすることでした。
一般的に預言者であることは、世界で最も危険な職業の中でも精肉工場で働くのと同じようなものです。たとえ預言者たちが真実を語っていたとしても、その予言が気に入らなかった人たちによって殺されたり、刑務所に投げ込まれたりすることがあるからです。(歴代の王の中には悪い知らせを聞きたくない王もいました。)歴史の話によれば、イザヤはのこぎりで真っ二つにされました。
だから、預言者たちのジレンマを考えてみてください。間違いを証明されれば死刑に処され、彼が正しかったとしても死刑に処される可能性があることを。真の預言者は、のこぎりで真っ二つにされたくないのと同様に、神に対して罪を犯したくありませんでした。それゆえに預言者たちは、神が話されたと絶対に確信できるまで待ち、さもなければ口を閉ざしてました。王たちは彼らの予言で身震いするようになりました。真の預言者の予言が間違っていたことはなかったからです。
さて、質問があります。これらの聖書に出てくる預言者たちの正確さは、今日の霊能者とはどう一致するのでしょうか?
預言者対霊能者
現代の霊能者の正確さが聖書の預言者のそれに近いかどうか熟考するのに、ジーン・ディクソンを事例にしてみましょう。このアメリカ人霊能者は出来事を予言することができる特別な能力を持っているようにみえました。しかし分析上、彼女の能力は保障されていないようです。
例えばディクソンは、1962年2月5日に中東で1人の男児が生まれ、彼が西暦2000年までに世界を変えるだろうというビジョンを持っていました。この特別な人物が、世界が一つとなる宗教を生み出し、世界に恒久平和をもたらすだろうと。彼女には、この人物の上で一つの十字架が全地球を覆いつくすまで成長していくのが見えました。ディクソンによれば、この子供が古代エジプトの女王ネフェルティティの子孫になるであろうということでした。[1]この人物はどこにいるのでしょうか?彼を見たことはありますか?世界の恒久平和は一体どうなったのでしょう?
実際には、彼女の予言の徹底調査から2つの明白な事実を得ました。彼女の正確さは未来を予想するものと同等であり、一番広く報道された彼女の実現した予言は、あれもこれも成就したと言ってもおかしくないほどあまりにも意図的であいまいな予言ばかりでした。
広く報道されたノストラダムスの大予言でさえも、あやふやな予言にもかかわらず頻繁に間違っていたと立証され、それを反証するのは困難でした。[2]例えば、ノストラダムスの予言の一つがこれです。
『日と動きのために月の女神をとります。~世界の偉大な地を神の意志』ワンズ ウィル)のために呼び起こす、狂気の放浪者で神の法の証人[3]』
これはダイアナ妃の死をさしていると言われています。(あなたは多分マーガレット・サッチャーを想像してたでしょうが。)このような予言は雲がものに見えるのと同じくらい不明瞭なのです。それでも、これがノストラダムスの予言が実現した証拠だという人がいるのです。極めて疑わしいのですが、反証するのは難しいです。
これが通常、霊能者の実績です。
『ザ・ピープルズ・アルマナック(人民年鑑)』が上位25人の霊能者をリサーチしたところ、彼らの予言のうち92%が間違っていたと判明しました。残りの8%は疑わしく、偶然または状況の大まかな知識で説明できるものです。[4]世界で一番の霊能者たちによる他の実験では、彼らの正確度は11%前後であることが示されましたが、それは人々があてずっぽうで言い当てる確立と同じであるという事実さえなければ、平均値としては悪くなかったかもしれません。これは未来の予言の全てを反証してはいませんが、なぜ霊能者が宝くじに当たらないのかを確かに説明しています。
霊能者と預言者の違いは、度合いの違いというよりは本質の違いだと思われます。預言者たちは、神が繰り広げる計画に関しての未来の出来事について具体的な宣言をし、それを揺るぎなく正確にやりました。霊能者はもっと報酬が目当てであり、対価を支払ってくれる商売相手に漠然とした未来図を提供します。彼らはあっと言わせるような情報を提供しますが、欠陥のある業績付きです。
大局的に見た宗教の預言
予言はやや神秘的だったり、霊的であり、なんというか・・・気味が悪いというのでしょうか。交霊会や他の世界を想像させます。映画スターウォーズではフォースにバランスをもたらす者の予言があります。指輪物語の映画は予言の言葉の背景に空想のテーマを織り込んでいます。しかし、それは想像の世界です。
現実の世界については、もし1人の人が将来のたった1分間分を知っていれば世界を支配することができると言われています。考えてごらんなさい。ドナルド・トランプのカジノでディーラーが配った全てのカードを知り尽くして1分。あなたは世界で一番の富豪になり、ドナルドは下働きになるでしょう。
しかし宗教の世界では予言は重要な機能を果たします。予言は、人が神に託された言葉を話しているのかそうでないかを知る確実な方法となります。なぜなら、全能の神のみが未来を余すところなく知ることができるからです。そして、この点において旧約聖書の予言は独特なものとして存在します。なぜなら、他の宗教の有名な聖書のほとんどが、前兆となる予言に欠けているからです。例えば、モルモン書やヒンドゥー教のヴェーダは神の啓示を主張していながら、その主張を裏付ける方法がありません。『たしかに、神が言いそうなことですね』と思わされるだけです。
聖書学者のウィルバー・スミスは聖書の予言を他の歴史書と比べ、聖書を『諸国、イスラエル、地上の全ての人々、特定の都市、そして救世主として来たるべき者にかかわる大規模な予言をふくむ、人または集団によって作られた唯一の巻物だ』と述べています。[5]このようにして聖書は啓示を立証または反証できるといった方法で啓示に対する主張を明らかにしています。
もしこの正確性の度合いを日々の見方においてみれば、それがいかに驚くべきことかわかると思います。例えば、1910年にあなたが、ジョージ・ブッシュが2000年の大統領選挙で当選すると予言したなら、それは奇跡的だったことでしょう。しかし、あなたがこのような詳細を予言に含めたことを想像してみてください。
- 獲得した投票数が最も多かった選挙候補者が落選するだろうこと
- 主要なテレビ局が当選者を発表し、その後それが逆転するだろうこと
- 一州(フロリダ州)が投票結果を左右するだろうこと
- 米国の最高裁判所が最終的に当選者を決定するだろうこと
そのようなことが起これば、崇拝者によってあなたの名にちなんで名づけられた教会が建ち、あなたをイメージした小像がダッシュボードについたことでしょう。でもそんな事実はなかったので、そのような教会や像も当然ありません。1910年にこの出来事の正確な順序を正しく予言することは困難(不可能)でしたが、イエスや他の誰かが救世主についての全てのヘブライの予言を成就(実現)させる可能性は、それと比較にならないほど難しかったのです。旧約聖書に記されている、イエスの誕生の何百年も前に書かれた予言は、救世主について具体的に書かれた予言が61あり、救世主については約300箇所で触れられていました。[6]
予言の正確性が100%でなければいけないというヘブライの必要条件によれば、イスラエルの真の救世主は予言の全てを成就しなくてはならず、そうでないなら救世主ではないということになります。そうなると、イエスの正当性を証明するか彼を世界で一番ひどいでっちあげ話のために犯罪とみなすかという論題は、イエスが救世主に一致しこれら全ての旧約聖書の予言を成就したかどうかということになります。
イエスが救世主である可能性はどのくらいか?
旧約聖書に書かれた救世主に関する具体的な予言のうち2つをみてみましょう。
『しかしベツレヘム・エフラタよ、あなたはユダの氏族のうちで小さい者だが、イスラエルを治める者があなたのうちから/わたしのために出る。その出るのは昔から、いにしえの日からである』(ミカ書 5:2)
『それゆえ、主はみずから一つのしるしをあなたがたに与えられる。見よ、おとめがみごもって男の子を産む。その名はインマヌエルととなえられる』(イザヤ書7:14)
さて、このほかの59の予言を検討する前に立ち止まり、歴史の中で潜在的な救世主のという項目で、ベツレヘムの町で処女から生まれた者がいったい何人いるのか、自分自身に問いかけてみてください。「そうだね、えーと、近所のジョージがそうだけど・・・ いや、気にしないで。彼はブルックリン生まれだった」1人の人によって成就された61の詳しい予言の事例は、不可能といってもおかしくないくらい可能性がないことを言っているのです。
科学捜査官がDNAのデータ一致を発見した場合、それが別人の可能性は何十億分の一以下であることが多いです。(犯罪を企んでいる人は覚えておいた方がいいです)これらの予言を成就する一個人を考えた場合、救世主でない可能性とゼロの桁数は同じくらいです。
数学教授のピーター・ストーナーは600人の生徒に、1人の人が8つの特定された予言を全て成就する可能性を測定する数学の確立問題を与えました。(これは、コインを8回連続的に投げて、毎回【表】がでるのとは違います。)生徒達はまず、一つの特定した予言の全ての条件-例えば、条件の一つは30枚の銀貨のために1人の友人に裏切られるという事実-を1人の人が成就する確立を計算しました。次に、生徒たちは8つの予言全てを組み合わせた場合の確立を予測するのに最善を尽くしました。
生徒たちが8つの予言全てを1人の人が成就することに対してだした確立は、10の21乗のうちの1つ(1/1021)という桁外れのものでした。その数字を説明するために、ストーナー教授は次の例をあげました。『まず、地球の陸面積全体を120フィート(約37メートル)の高さに積み上げた1ドル硬貨で覆います。2つ目に、硬貨の一つに特別な印をつけ、適当にそれを埋めます。3つ目に、1人の人に地球を旅し、何兆個もの1ドル硬貨の中から目隠しした状態で、印をつけた1ドル硬貨を選択するよう依頼してください。[7]
人々は数字でおかしなことをしますが、(特に、麻薬の常習犯という意味のストーナーという名前の場合は)、ストーナー教授の研究はアメリカ科学協会によって論評されたことに注目することが重要です。協会は『その数理解析は全く正常な確立の法則に基づいており、ストーナー教授はこれらの法則を適切な人を納得させるやり方で適用した』と述べています。[8]
それを序盤として、あと六つの予言をすでに考察した2つの予言に合わせて、ストーナー教授の八つの合計を算出してみましょう。
予言:救世主はダビデ王の血筋から出るであろう
エレミヤ書23:5
紀元前600年
予言:救世主は30枚の銀貨によって裏切られるであろう
ゼカリヤ書11:13
紀元前487年
予言:救世主は手足を砕かれるであろう
詩編22:16(17節の場合も)
紀元前1000年
予言:人々がくじ引きで救世主の着物を分けるだろう
詩編22:18(19節)
紀元前1000年
予言:救世主がロバに乗って現れるだろう
ゼカリヤ書9:9
紀元前500年
予言:1人の使者が救世主の到来を告げるであろう
マラキ書3:1
紀元前500年
成就:ダビデの子孫イエス
ルカによる福音書3:23、31節
紀元前4年
成就:彼らは彼に30枚の銀貨を与えた
マタイによる福音書26:15
西暦30年
成就:彼らは「されこうべ」と呼ばれているところに来た。そこで3人全員―イエスが中央に、二人の囚人がその両側に十字架につけられた
ルカによる福音書23:33
西暦30年
成就:兵士達は彼の服を取ったが、それは縫い目がなく上から下まで一枚織りだった。そこで、「これは裂かないで、誰のものになるかくじ引きで決めよう」と話しあった
ヨハネによる福音書19:23~24
西暦30年
成就:ロバと子を連れて来て、その背に衣服をかけると、彼はそのロバの子に乗った
マタイによる福音書21:7
西暦30年
成就:ヨハネは彼らに言った。「私は水で洗礼を授けるが、あなた方の中にあなた方の知らない者がいる。
ヨハネによる福音書1;26
西暦27年
救世主について私たちがおさらいした八つの予言は、イエスが誕生する前の約500~1000年の間に、様々な時代の様々な場所で、様々な人によって書き記されました。したがって、著者たちの間に結託する機会はありませんでした。その特異性にも注目してください。これは【月が緑色に変化したらライマメが道端に隠れているだろう】などと言ったノストラダムスの予言とは同じ分野ではありません。
制御不能
数千万券も売られたパワーボールの宝くじで、たった1枚の券で当選するのを想像してみてください。それから、このような宝くじで100回連続で当選するのを想像してみてください。人々はどう思うでしょうか?いかさまだ!というでしょうね。
長年にわたって、旧約聖書の予言をイエスが成就したことについて、懐疑者たちが同様の主張をしていました。彼らはイエスが救世主の予言を成就したことは認めていますが、イエスがそれを成就するためにわざとそのような人生を生きたと非難しています。妥当な申し立てではありますが、見た目ほどもっともらしくはありません。
4つだけ、救世主予言の本質を考慮してみてください。
- 彼の系統はダビデの子孫であるだろう(エレミヤ書23:5)
- 彼はベツレヘムで誕生するだろう(ミカ書5:2)
- 彼はエジプトへ移住するだろう(ホセア11:1)
- 彼はナザレに住むだろう(イザヤ書11:1)[9]
では、これらの予言を成就するためにイエスには何ができたでしょうか?イエスもイエスの両親も系統を自分達で決めることはできませんでした。ベツレヘムでの誕生はカエサル・アウグストゥスによって義務付けられた国勢調査の結果起こったものです。両親がエジプトへ向かうことになったのはヘロデ王の迫害に促されました。そしてヘロデが死んだ後、イエスの両親は自然とナザレに再び定住することを決めました。
幼少時でさえ偽救世主イエスは彼が偶然成就した予言をみて、残りの予言も(トランプのハーツで月を射ようか迷ってる誰かさんのように)できるかどうか頑張ってやってみることにしました。乗り越えなければいけない壁は相当の高さでしたが。私たちがすでに調べた予言の中の要因のいくつかを考慮してください―救世主は30枚の銀貨のために裏切られるだろうこと、彼は十字架刑で死ぬだろうこと、人々が彼の服をくじ引きで分けるだろうこと。これらの予言は全てイエスに実現されましたが、しかし、これらどれかの予言を成就するためにイエスが左右できたものはあるでしょうか?
聖書学者たちは救世主について触れられた約300箇所と61の具体的な救世主に対する予言が、イエス・キリストによって成就されたと言います。それだけ多くの予言を1人の人が成就すること対する可能性は、数学上の確立全ての域を超えるでしょう。どれだけの時間を充てようと、決して起こらなかったかもしれません。これらの不可能にちかい可能性に対するある数学者の推定は、、何兆分の、何兆分の、何兆分の、何兆分の、何兆分の、何兆分の、何兆分の、何兆分の、何兆分の、何兆分の、何兆分の、何兆分の、何兆分の1の確立だそうです。[10]
断固とした無神論者のバートランド・ラッセルはルック雑誌との対談で、神を信じるにはどのような証拠が必要なのかときかれました。ラッセルはこう答えました。『まあ、私が天からの声を聞いて、それが一連の出来事を予言し、それらが実現したなら、それなら超自然的なものが実在することを信じることになるだろう』
聖書学者のノーマン・ガイスラーはラッセルの懐疑的な態度に対しこう答えました。『ラッセルさん、私は天からの声があったと思ってますよ。その声がたくさんの事を予言したし、紛れもなくそれらが実現するのを見てきています』[11]
ガイスラーは時を超えた超越的存在しか将来の出来事を正確に予言できないという事実を暗に仄めかしていました。
瓶に隠された証拠
私たちは、イエスが成就した救世主の予言を一つを除いたいろいろな角度から証拠を見てみました。もしイザヤ書や他の旧約聖書の予言書物の巻物を書き写した筆記者が、イエスの人生と予言が一致するよう修正したらどうなったでしょうか?
これは、多くの学者や懐疑論者たちが考えていた一つの疑問です。それは可能なように思え、一見したところではもっともらしいとさえ思われました。それはイエスを嘘つきの偽者に仕立て上げずに済みますし、(嘘つきだなんて全く想像もできませんが)、イエスの予言の成就の驚くべき正確さを説明することでしょう。それでは、イザヤ書、ダニエル書、ミカ書といった旧約聖書の予言の書について、キリストの誕生より何百年も前に書かれたといわれている事実をどうやって知ることができるでしょうか?それが事実だとしたら、本文が後に修正されたものでないとどうしてわかるでしょうか?
1900年の間、正確に将来の出来事を予言するという人間の不可能に基づいて、多くの懐疑論者がその理論に固執しました。しかしその一方では、そのような秘密の陰謀への熱意を完全に打ち消した何かが起こりました。その何かとは、死海文書のことです。
半世紀前、死海文書の発見は、存在が知られているほかの古文書よりはるかに古い旧約聖書の写しを聖書学者たちに提供しました。精密な検査が、これらの写しの多くがイエス・キリストが生きていたよりも前に作成されたことを証明しました。そしてそれらは、私たちがすでに使っている聖書の本文と全く同じといってもいいくらいでした。その結果、イエスが救世主であることを否定していた学者たちでさえも、これらの旧約聖書の写本がイエスの誕生以前に遡ることを認め、それゆえに、その写本の中にあった救世主についての予言がイエスと一致させるために修正されたのではないと認めました。
もしこれらの予言がイエスの生涯を通してあまりにも正確に成就されたなら、イスラエルの人たちみんながなぜそれを理解できなかったのか不思議に思うのも無理はないように思えます。しかし、彼の十字架上の死が証明するように、誰もが理解したわけではないのです。使徒ヨハネがイエスについて言ったように、『自分のところにきたのに、自分の民は彼を受けいれなかった』(ヨハネの福音書1:11)なぜでしょう?
戦い続けてきたイスラエルの歴史を考えると、救世主の定義が政治的自由を戦う人だと思いがちです。1世紀のユダヤ人が、救世主が来ていながら何故イスラエルがまだローマの占領下に抑圧されているのだろう?と思ったのは理解できます。
イエスが救世主の予言を成就している間、誰もが予想できないようなやり方でそれを成し遂げました。彼は自己犠牲、謙虚な奉仕、癒しと教えを通じて目標を達成させながら、政治的ではなく道徳的で精神的な大改革を求めました。一方、イスラエルは失われた王国を取り戻すための征服に導いてくれるモーセやヨシュアに代わる人を探していました。
もちろん、イエスが生きてた時代の大勢のユダヤ人が、イエスが救世主だとわかっていました。なぜなら、初期の教会の完全な基礎がユダヤ人だったからです。しかしながら、大部分の人はわかっていませんでした。それが何故であるか把握するのはそう難しくはありません。
1世紀のユダヤ人たちの誤解をより良く理解するには、イエスの誕生より700年前に預言者イザヤによって書かれたこの救世主の予言を考慮してください。それはイエスについて言っていましたか?
『われわれはみな羊のように迷って、おのおの自分の道に向かって行った。主はわれわれすべての者の不義を、彼の上におかれた』
『彼はしえたげられ、苦しめられたけれども、口を開かなかった。ほふり場にひかれて行く小羊のように、また毛を切る者の前に黙っている羊のように、口を開かなかった。彼は暴虐なさばきによって取り去られた。その代の人のうち、だれが思ったであろうか、彼はわが民のとがのために打たれて、生けるものの地から断たれたのだと。彼は暴虐を行わず、その口には偽りがなかったけれども、その墓は悪しき者と共に設けられ、その塚は悪をなす者と共にあった』
『しかも彼を砕くことは主のみ旨であり、主は彼を悩まされた。彼が自分を、とがの供え物となすとき、その子孫を見ることができ、その命をながくすることができる。かつ主のみ旨が彼の手によって栄える。彼は自分の魂の苦しみにより光を見て満足する。義なるわがしもべはその知識によって、多くの人を義とし、また彼らの不義を負う』
(口語訳聖書、イザヤ書53章6~11節引用)
イエスが十字架につけられ、当然のことながら「この人がどうして救世主であろうか?」と思っていた人たちはいたかもしれません。それと同時に、「イザヤが予言していた人はイエス以外の誰がありえようか?」と疑問に思っていた人もいたにちがいありません。
不可能な偽者
それでは、自分の誕生より何百年も前に書かれたあまりに多くの予言を成就したイエスをどう判断しますか?レオナルド・ディカプリオ、いや、フランク・アバグネイルは良い詐欺師かもしれないが、彼でさえ飲酒できる年齢になるまでに逮捕されました。
イエスはフランク・アバグネイルを超える力量の持ち主だとは思えません。イエスはアバグネイルとは全く別の部類に入ります。ヘブライの予言で示されたような、そんな確立を打ち破ることができる詐欺師はいません。
それは何を意味するでしょうか? 次の2つの結論が浮かび上がります。まず、超越的な存在だけがそのような出来事を画策できるという結論です。第2に、イエスのほかの主張全てが、信ぴょう性のある真剣に考慮すべきものになります。
ヨハネの福音書の中でイエスが主張しました。『わたしは道であり、真理であり、命である』と。決定的な証拠は、小切手の署名が偽造ではないと示しているかのようです。
イエスは本当に死人からよみがえったのか?
今の時代の最大の疑問は、『本物のイエス・キリストは誰か?』ということです。彼はただ並外れた人だったのでしょうか、それともパウロやヨハネ、ほかの弟子たちが信じていたように、肉体において神であったのでしょうか?
イエス・キリストの目撃者たちは実際、イエスが十字架で死んだ後、死体から肉体的によみがえったと信じているような言動をしました。もし彼らが間違っていたのなら、イエスに信頼をおいた全ての者たちが、嘘の上に人生を築いたことになります。しかし、もし彼らが正しければ、イエスが神や彼自身や私たちについて語った全てをその奇跡が立証することになります。
しかし私たちは、イエス・キリストの復活を信仰のみによるものと考えなくてはいけませんか、それとも確かな歴史的証拠はあるでしょうか?何人かの懐疑論者は復活話が嘘だと証明するために、歴史的証拠を調査しはじめました。彼らが発見したものはなんでしょう?http://www.y-jesus.com/body_count1.php”>イエス・キリストの復活というこれまでになされた最も素晴らしい主張に対する証拠を見てみたい方は、こちらをクリックしてください。ここをクリックし、この記事の感想をこちらへお寄せください。 (http://y-jesus.org/japanese/wwrj/7-whyjesus/)
イエスは、私たちの死後について話しただろうか?
もしイエスが本当に死人からよみがえったとしたら、それでは彼しか死後の世界について知らないことになります。イエスは私たちの生命と将来の意味について何と言ったでしょうか?神の元への方法はいろいろあるのでしょうか、それともイエスが唯一の方法だと主張していますか?驚くべき答えを、『何故イエスなのか』のページで読んでください。
『何故イエスなのか?』を読んで、私たちの死後についてイエスが言ったことを知るには、ここをクリックしてください。 (http://y-jesus.org/japanese/wwrj/7-whyjesus/)
イエスが生命に意味をもたらすことができるか?
『何故イエスなのか?』の項目は、イエスが今日関連せいがあるかないかという疑問を調査します。イエスは人生における大きな疑問に答えられるでしょうか?『自分は誰なのか?』、『自分はどこにいるのか』、『自分の死後はどうなるのか?』意味のない大聖堂と十字架は「イエスはその質問に答えられないし、イエスは我々を制御のきかない世界の中に置き去りにした」と人々に信じさせています。しかし、イエスが思いやりがなく無力だとみなす前に、この地上における人生と私たちの目的についてイエスが主張したことを調べる必要があります。この記事では何故イエスが地球にやってきたのかという謎を調べます。イエスがどうやって人生に意味をもたらすかを知るには、ここをクリックしてください。 (http://y-jesus.org/japanese/wwrj/7-whyjesus/)
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