イエスは再び地上に現れるか?

世界中のほとんどの人が、2000年前、イエスがこの地上に実在していたことを認めています。異を唱える人もいますが、我々の歴史そのものにイエスが存在した証拠が刻まれているので、大抵の分別ある人は、少し調べれば事実であることが確認できると考えています。

しかし現代、我々はまた違った問題を抱えています。かつて、イエスは我々のもとへやってきた、しかし二度目はあるのだろうか、と。イエスは何か手がかりになるようなことを言っていたでしょうか?

最初にイエスが現れてから、とても長い時間が過ぎました。私達は彼が戻ってくることを期待してもいいのでしょうか?世界は大きく変わりましたが、次はいつ、どこへ現れ、そのとき何が起きるのでしょうか?我々にそれを知る術はあるのでしょうか?


イエスは自身の再来について何と語っていたか?

イエスは、「私は再び戻る」と言いました。彼は、親しい信徒達にこう話しています。「心を騒がせてはなりません。わたしが行ってあなた達の場所を備えたら、また来てあなた達をわたしのもとに迎えましょう。わたしのいる所にあなた達をおらせるためです。」(ヨハネ14章1-4)

イエスはまた、信徒(弟子)達に、自分は「すべてを建て直す者がやってくる」という古代の預言を成就する者だと語っています。

2000年以上前にイエスがイスラエルに現れたとき、ユダヤ人の共同体はローマ帝国の支配下にありました。当時彼らが所有していた聖典-現在の旧約聖書-には、救世主が現れるという記述があったので、ユダヤ人たちは、イエスはローマ帝国による圧制から自分達を解放するために現れたのだと考えました。しかし実際には、イエスはその胸の中に、より崇高で壮大な目的を秘めているようでした。

十字架にはりつけにされる前に、イエスはあざけりを受けむち打たれました。当時の大祭司カイアファを前にして、イエスはまるで赤子のように無力に見えました。カイアファは、「イエスよ、あなたは本当に神の子なのか。」と問いただしました。これを受けてイエスは「そうです。人の子が力のある方の右の座に着き、天の雲に乗ってやって来るのをあなたがたは見るでしょう。」と答えました。[1]

これを聞いた大祭司の反応を想像してみてください!カイアファをはじめユダヤ人達は、救世主が偉大なる力と栄光を携えて現れることを期待していました。しかし彼らの前にいるイエスは血まみれで弱々しく、とても期待したような王には見えませんでした。ユダヤ人たちがイエスを拒絶する様子を、ともに歩んだ弟子のヨハネがこう記しています。

「この方はご自分の国に来られたのに、この方の民は受け入れなかった。しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権を与えられた。」[2]

イエスは復活後、弟子達をエルサレムの東にあるオリーブ山へと連れて行きました。そこでイエスは雲の上に引き上げられ、弟子達の前から姿を消しました。彼らが驚きながらその様子を見つめていると、白い服を着た男性(天使)二人が姿を現し、こう語りかけました。

「ガリラヤの人々よ。なぜ天を見上げて立っているのですか?あなた達から離れて天に上げられたこの方は、天に上っていかれるのをあなた達が見たときと同じ姿で、またおいでになります。」[3]

天使達は、なにも特別なことを言ったわけではありません。彼らはただ、イエスがいつの日か万能の力と栄光を携えて戻ってくることを、改めて約束したのでした。[4]


イエス再来のしるし

イエスがこの地上を去ってからすでに2000年が経ちました。これほど時間が経ってもまだ、イエスが戻ってこないことを不思議に思う人も多くいます。無神論者のバートランド・ラッセルもその1人で、再来の約束は破られたと非難しました。[5] ラッセルの言う通り、イエスは本当に約束を破ってしまったのでしょうか?

イエスの弟子の1人ペテロは、再来が遅れることで、ラッセルのようにイエスが約束を破ったとあざける者が現れるだろうと予想していました。ペテロはこう記しています。

「まず初めに次のことを知っておきなさい。終わりの日に、あざける者がやってきてこう言うでしょう。復活の約束はどうなったのか。我々の祖先が眠ったときから、何もかも創造の初めのまま変わりないではないか。」[6]

ラッセルや彼の仲間は、ペテロの言葉やイエス再来の時期、またそれに先立ちどのようなことが起きるとイエスが語ったか、もっと詳細に調べるべきでした。イエスは、自身が再び現れる時期は誰にも予想できないが、その日が近いことを知らせる明確な兆候が現れるだろうと述べています。[7]

また、旧約聖書の預言やイエスの信徒達が残した記録を通して、イエス・キリスト再来前の世界の姿を知ることができます。また、再来の時期についても次に記すような手がかりがいくつか残されています。

・   大地震の増加

・   飢饉の増加

・   戦争の増加

・   伝染病の増加

・   イエスの信徒達への迫害の増加

・ 福音書の世界的布告

地震、飢饉、伝染病、戦争は、人類の歴史を通して常に存在しています。しかしイエスは、その再来前にはそれらがより激しくなるだろうと述べています。[8] イエスを信じる者達への迫害は、最初に彼を受け入れ、イエスの名により世に送り出されたペテロやヨハネ達への迫害から始まりました。今日、迫害がより激しさを増しているのは間違いありません。数多くのイエスの弟子達がその信仰により迫害を受けています。イエスは、このような迫害は彼の名が世界中に宣言され続けるのと同様に、その復活まで続くと述べています。

イエスは、これらがより頻繁により激しく起こり出したなら、

「頭を上げなさい、復活のときは近い。」[9]

と述べています。聖書学者の間でも、イエス再来に関して細部まで意見が合致しているわけではありませんが、多くはイエスが述べた「そのとき」が急速に近づいてきていると考えています。パウロ(新約聖書に収められている数多くの手紙を書いたことで知られる)は、信徒達に「祝福された望み、すなわち偉大なる神であり、救い主であるイエス・キリストが現れるのを待ち望みなさい」と告げ、備えを怠らないよう教えました。[10]

では、どうすれば再来の約束は守られると信じることができるでしょうか。また、なぜ約束が果たされるまでにこんなにも時間がかかっているのでしょうか。

イエスの遅れについて、ペテロはこのように述べています。「しかし、愛する人たち、あなたがたはこのことを見落としてはいけません。主にあって一日は千年のようであり、千年は一日のようなのです。主は、ある人達が遅いと思っているように、その約束を遅らせているのではありません。かえって、あなた達のために忍耐深くいらっしゃるのです。たった1人でも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望まれているのです。」[11]

ペテロは、苦難や迫害にさらされていた信徒達に手紙を送っています。彼らは、イエスがやって来るのを今か今かと待ち望んでいました。しかしペテロは、神はまずイエスの教えが世界中に伝わり、一人でも多くの人が心を動かされることを望んでいると説きました。なぜなら、イエスはペテロや弟子達に、終わりの日が来る前に自分の名が世界中に広まり、例え文化が異なろうとも世界中の人々からあかしされるだろうと語っていたからです。[12]


イエス再来の約束は信頼に値するか?

バートランド・ラッセルのように、イエスは約束を破ったと非難する人々にはどのように答えればよいでしょうか。

まず、なぜイエスは2000年も前に、福音が世界中に広まることが分かっていたか聞いてみましょう。未来に何が起きるか分からなければ、そのようなことは言えなかったはずではないでしょうか。

次に、イエスが交わした他の約束が守られたかどうか見ていきましょう。中でも特に重要と思われるのが次の3つの約束です。

1.救世主に関する古代預言はイエスにより成就される[13]

2.エルサレムの崩壊[14]

3.イエスはその死後、3日目によみがえる[15]

それでは、民を解放するために現れるという救世主に関する預言を、イエスが満たしているか見ていきましょう。

聖書は、国家やイスラエル、救世主に関する明確な預言が大量に収められている唯一の聖典です。[16] 旧約聖書には救世主に関する300余の記述があります。救世主の家系や生誕地、やがて裏切りにあい死を迎え、その後復活することまで記されています。これらの記述は、イエスが誕生する500~1000年前に書かれたものですが、そのどれもがぴたりとイエスにあてはまりました。

また、死海文書にも救世主に関する預言が記されていますが、これらは紀元前100年以前に書かれたので、後世イエスの話を聞いた人々による創作や単なるでっちあげとは考えられません。おもしろいことに、これほどの数の預言が何一つ外れることなく、一人の人間にぴたりと当てはまるというのは、統計学上あり得ないと考えられています。つまり預言の全てがイエスにあてはまるというこの事実こそ、彼が約束された救世主であるという何よりの証拠なのです。(「イエスは救世主か?」http://www.y-jesus.com/path_1.php をご覧ください)

次に、エルサレムが崩壊するというイエスの預言を見ていきましょう。当時の人々にとって、それはあまりにも信じがたいことでした。[17] イエスは、ユダヤ人にエルサレムとその荘厳な神殿が破壊されるだろうと警告しました。

やがてイエスの言葉は現実となりました。40年後、ティトゥス率いるローマ軍がエルサレムに侵攻し、100万人ものユダヤ人が犠牲になりました。ユダヤ人歴史家ヨセフスはエルサレム攻略の最中、紀元70年に次のような兆候が現れたことを書き残しています。[18]

1.剣に似た星が一年の間エルサレム上空にあった

2.光が1時間半ほど続き、まるで昼間のように明るくなった

3.空中に戦車と兵士が現れた

ヨセフスは、この他にもローマ軍がエルサレムを包囲している間に出現した不思議な兆候を書き残しています。これらは何を意味するのでしょうか?これにより、イエスが雲に乗って再び現れるという預言が比喩的に成就された、と考える学者もいます。[19]  しかし、イエス自身が再びエルサレムに現れるという約束は未だ果たされずにいます。

イエスによる第三の預言は、十字架にはりつけにされた後、死からよみがえるというものでした。これについて、聖書学者ウィルバー・スミスは次のような意見を述べています。

「処刑後三日目に死からよみがえるなど、あまりに突飛すぎて普通の人には口が割けても言えないことです。弟子達の信頼を失う恐れすらありました。だからこそ、こう考えられるのです、イエスは自分が死からよみがえることをはっきりと確信していたと。」[20]  どんなに偉大な人物や教師、指導者でも、未だかつてこのような大胆な発言をした人はいません。

また、イエスは自身の預言によって、その他の発言や教えまで危険にさらしました。復活の約束が守られなかったとしたら、信徒達は間違いなくイエスや彼の教えに従うことをやめたでしょうから-しかし、そうはならなかったのです。ピーター・スタインフェルズは、イエスの死から三日後の出来事について

「イエスの処刑後、それまでおびえ戸惑っていたイエスの信徒達が、突然、イエスやその王国について、自分達の命を賭してまで伝道を続け、やがてローマ帝国を変えるに至った。一体何があったのだろうか?」という記事をニューヨークタイムズに載せました。[21]

紀元1世紀に起きた一国家を変えてしまうほどの出来事とは何だったのでしょうか?イエスが死から復活したという証拠があるのでしょうか?フランク・モリソンは、当初、イエスの復活に関して否定的な本を書いていましたが、残された証拠を調べ続けるうちに立場を翻し、自分がイエスの復活を信じるようになった経緯を本にしました。

ハーバード・ロー・スクールの創設者であるサイモン・グリーンリーフ博士は、学生達の前で、イエスの復活を一笑に付しました。定評のある独特の手法を使って復活の真偽を調査し始めたグリーンリーフ博士でしたが、調査の結果、イエスの復活は実際の出来事だと認めざる得なくなりました。その第一の理由として、博士は弟子達の急激な変化を挙げています。(詳しくはhttp://www.y-jesus.com/body_count1.php を読んでください。)

このように、イエスは、その誕生の何百年も前に記された救世主に関する数多くの預言をすべて成就し、エルサレムの崩壊を正しく預言し、さらに多くの証拠が示すように、約束どおり死から復活しました。これでもまだイエスの再来を疑うことのできる人がいるでしょうか?

イエスはどこに現れるか?

聖書では、イエスはエルサレムのオリーブ山に再び立つと書かれています。[22]

「ニューヨークやロンドン、北京や東京ではないのか?」

と思う人もいるかもしれません。イエス再来の場として選ばれたエルサレムは、確かに有名な大都市ではありませんが、神にとって大きな意味をもつ土地なのです。

なぜなら、神がアブラハムにその一人息子であるイサクを捧げるように命じた場所こそがエルサレム(もともとはモリヤと呼ばれていた)だったのです。アブラハムがまさにイサクに手をかけようとしたその時、神はそれを止め、イサクのかわりに子羊を求めました。神はアブラハムの信仰を試したのであって、決してイサクの犠牲を望んでいたわけではなかったのですが、同時に、2000年後にこの近くで神の一人子が犠牲となることを、象徴的に示されてもいたのです。

ソロモンは、アブラハムがイサクの代わりに子羊を捧げた場所に最初の神殿を建てました。神殿には神の仰せのとおり、臨在に満たされた聖なる部屋、至聖所が設けられました。

紀元500年頃、終わりの日に救世主が現れるとき、ユダヤ人はエルサレムに暮らしているだろうとの預言がされました。[23] しかし紀元70年、エルサレムは破壊され、100万余もの住民が犠牲になりました。生き残った人々は命からがら逃げ出し、長い間信仰の中心地であったエルサレムはその姿を消しました。ユダヤ人達にできることといえば、エルサレムの再建を待ち望むことだけでした。

ローマ軍の侵攻後およそ1900年間、イスラエルは国家と認められず、エルサレムは緩衝地帯とされ他国の占領下にありました。19世紀後半になり、やっとイスラエルの地にユダヤ人が戻り始めました。ヒトラー率いるナチスのホロコーストにより、ユダヤ人がイスラエルへと集団移住したからです。

1948年5月14日、国連憲章に基づき、ユダヤ人によるエルサレムの部分的統治が認められ、ユダヤ人が2000年間待ち望んでいたイスラエル再建がとうとう実現しました。しかし、そのわずか数時間後、境界線沿いに駐在していたアラブの軍隊が宣戦布告し、イスラエルとその近隣地域間の緊張が高まりました。

1967年、エジプト、ヨルダン、シリアの各軍隊がイスラエルを包囲しました。新聞はこれを、「エジプトがイスラエル攻撃を宣戦布告」という見出しとともに大きく報じました。[24] 数的に圧倒的不利と思われていたイスラエル軍でしたが、奇襲作戦が功を奏し、わずか6日間で敵を壊滅することに成功しました。この劇的な勝利は奇跡に他ならないと多くのユダヤ人が語りました。イスラエルはまた、1967年の戦争でも輝かしい勝利をおさめ、ついにエルサレムがイスラエルに帰属することが決まりました。人々が待ち望んでいた平和が、ついに訪れようとしていました。また同時に、「エルサレムをすべての国々にとって重い石とする」という預言が成就されようとしていました。[25]

イスラエルの奇跡的な再生により、救世主が登場するための舞台は整えられました。救世主は、ユダヤ人がエルサレムに住まうことを求めていましたが、現在、神がアブラハムに約束された土地には、およそ600万のユダヤ人が暮らしています。わずか1世紀の間に、事実上その存在を抹消されていたイスラエルは、世界的に有力な国家へと変貌を遂げたのでした。


イエスの再来はどのように行われるか?

聖書には、主は偉大なる力と栄光を携え戻ってくると書かれています。

イエスが最初に姿を現す500年前に、預言者ゼカリヤは、主が来られるとき、エルサレムは激しい戦いの中にあるだろうと書きました。エルサレムが世界中の軍に包囲されているだろうとも書いています。すさまじい戦闘により大量の血が流れ、イスラエル軍は敵に制圧されるが、その時、ある出来事がその情況を劇的に変えるというのです。

全ての希望が絶たれたように思われたその時、万能なる主イエスが雲に乗ってやってくるのが見えます。もはや従順な僕としてではなく、王の王、主の主として、力と威厳を携え神の創造物に回復と正義を備えるために現れるのです。「全ての目が-彼を突きさした者でさえも-彼を見る」と言われています。[26] 主は、その再来を人々がどのようにして知るか預言を通して語っています。

「彼らは自分たちが突きさした者を見、まるでそれが自分の一人子であるかのように嘆くだろう。その者が、自分の失った息子であるかのように激しく嘆き悲しむだろう。」[27]

ユダヤ人たちは、一瞬のうちに自分達の救い主が、かつて拒絶したイエスであると気づくだろうと書かれています。なぜならば彼らはイエスの弟子達のように、その掌に残された釘の痕を見るからです。そして、まるでイエスが自分の一人子であるかのように激しく嘆き、その大いなる愛に触れることになるのです。

イエスが再来するとき、彼に敵対するものはその力強い姿に圧倒されるでしょう。イエスはエルサレムが用意した栄光の王座につき、正義と公正を基として国々を治めるのです。およそ2000年前にイエスが現れるという預言が成就されたように、イエスの再来も成就されるのです。預言された数々の出来事は、神の定める時間に合わせて起きます。イエスの再来は、彼を信じる人々に喜びと報いをもたらしますが、彼を信じない人々には厳しい裁きの時となるでしょう。[28]

C・S・ルイスは我々が心に留めておくべき次の3点を聖書から引用しています。

  1. イエスは再来する
  2. 誰もその時期を知らない イエ
  3. ス再来のために自分自身を備えておくこと

さて、イエス再来の真偽が証明され、彼の言葉は信頼に値することがはっきりしました。そのイエスの言葉により、彼がいつ戻ってくるのか正確な時期を知ることはできないが、手がかりとなる事象が起きることが分かりました。それでは、我々はどのようにイエスの再来に備えればよいのでしょうか?

イエス再来にどのように備えればよいか?

イエスは、主人の帰りに備える賢いしもべを例えにして、まるでそれこそが人生において最も重要なことであるかのように、自身の再来に備えておくよう弟子達に忠告しました。[29] また、ユダヤの習慣に従い、準備を怠らずに花婿を待ち望む花嫁のように、期待して自分を待ちなさいとも話しています。[30]

イエスは、自身が再び民衆の前に現れるときのことを、次のように語っています。

「わたしに向かって、『主よ、主よ』という者がみな天の国に入れるわけではありません。天におられる父なる神のみ心を行うものだけが入ることを許されるのです。」[31]

イエスはまた、たとえ神のために良い行いをしていても、自分を知らなければ無駄に終わるとも語っています。我々が死の床にあるとき、そうでなければイエスの再来を目にするとき、大切なのはイエスを知っているかどうかということなのです。[32]ではどうすればイエスを知ることができるのでしょうか?

イエスは我々と同じ人の子です。彼に向かって話しかけてください。我々のためにその命を捧げてくれたことに感謝し、自分の主として迎え入れたいと伝えるのもよいでしょう。イエスによると、彼を信じ受け入れた人々は永遠にイエスと共にいることができるそうです。[33]

イエスは再来するとまず、自身の信徒達を彼に背いた者達から引き離します。そして人々はみな、その思いや行いがイエスの前で明るみに出され、それぞれに応じた裁きを受けるのです。[34]

しかし、もしあなたがイエスを知っているならば、あなたの罪が裁かれることはありません。すでにイエスが十字架の上で我々の罪をすべて贖ってくれたからです。イエスの子である我々には、永遠の命が与えられるのです。さらにその行いに応じて、報いを受けることができるのです。[35]

我々にとって最も重要な備えとは、イエスが十字架の上で我々のためにしてくれたことを理解し、イエスを信じると選択することです。イエスと向き合うための備えがきちんとできているかどうかは、こちら(http://www.y-jesus.com/why_jesus1w.php)を読んで確認してください。

黙示録に、次のようなイエスの言葉があります。「これらのことを誠実にあかしする方が言われる『そうです。私はすぐに来ます』」[36]

それを聞いた使徒ヨハネは、熱心に答えました。

「アーメン!主イエスよ、来てください。」[37] 我々もこのような期待をもってイエス再来に備えようではありませんか!

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