新約聖書の福音書は本当にイエス・キリストの生涯を目撃した記録なのでしょうか?それとも、ストーリーはこの長い年月を経て変えられたものなのでしょうか?私たちは、新約聖書のなかのイエスについての記述をただシンプルに信仰によって受け取るしかないのでしょうか?それとも、その信憑性は証明されるのでしょうか?
ABCニュースのメインキャスターを務めた故ピーター・ジェニングスはイスラエルでイエス・キリストについて特別番組を取材しました。その番組「The Search for Jesus (イエスの探求)」は、新約聖書に登場するイエスという人物に関する記述が歴史的にも正確であったかどうかということを調査するためのものでした。
ジェニングスはDePaul大学教授ジョン・ドミニク・クロッサンの見解のいくつかを取り上げました。ジーザスセミナーにおける同僚3人によるものと、他2人の聖書学者によるものでした。(ジーザスセミナーとは学者たちのグループで、イエスについて記述されているイエスの言動を議論し、その後にそれぞれに赤、ピンク、グレー、黒の色のビーズを使って投票することによって福音書の記述が信頼できるかの度合いを量るというものです。)[1]
そこには驚くほどのコメントもいくつかありました。全国放送のテレビにおいて、クロッサン博士はイエスの発言のうち80%以上に対して疑問を投げかけ、それどころかイエスの神聖、奇跡、復活を否定したのです。ジェニングスはよっぽどクロッサンによるイエスのイメージに興味があったのでしょう。
聖書の真実の歴史を探し求めることは常に話題になります。だからこそ、タイム紙もニューズウィークも毎年のようにマリアやイエス、モーセ、アブラハムについての特集記事を表紙絵に使ってまでも掲載するのでしょう。それとも、もしかすると今年はこんな記事が出るかもしれません。「ボブとは?知られていなかった13人目の弟子の生涯」
こうなると、この題材はエンターテイメントになるので、研究にも終わりがなく解答もないのです。なぜならそうでないと、先がなくなってしまうからです。それどころか、今までになかった過激な視点の論議がSurvivorのドラマの一話顔負けなほどに誇張されて提示され、論点は明確になるどころかとんでもなく複雑にされてしまうのです。
しかし、ジェニングスのリポートは一つ考慮するべき論点に注目していました。クロッサンは原本におけるイエスについての説明は語り継がれていくうちに誇張されていったもので、実際に書き記されたのは弟子たちの死後であったと述べました。従って、それらは信頼に値しないものであり、イエスの様子を真実に表していないと彼は言っています。このことが本当かどうかを知るにはどうしたらよいのでしょうか?
ロスト・イン・トランスレーション?
それでは、証拠は何を示しているでしょうか?まず2つのシンプルな質問から始めましょう:新約聖書の原本が書かれたのはいつでしょうか?また、誰が書いたのでしょうか?
これらの質問の重要性は明らかです。イエスについての説明が目撃証人の死後に書かれたものであるとすれば、その信憑性を確認できる人物もいないということになります。しかし、新約聖書の記述が最初の弟子たちの生存中に書かれたものであったなら、それらが信頼できるものであるかどうか確認できるということになります。ペテロは自分の名前のでっち上げについて「いや、そんなことは書いていない」と言うことができるでしょう。また、マタイ、マルコ、ルカやヨハネはそれぞれ自分のイエスについての説明に関する疑問やチャレンジに答えることができるでしょう。
新約聖書の著者たちはイエスの人生を実際に目撃した上で描写したと言っています。弟子ペテロはその手紙の中でこのように記しています。「私たちは、あなたがたに、私たちの主イエス・キリストの力と再臨とを知らせましたが、それは、うまく考えだした作り話に従ったのではありません。この私たちは、キリストの威光の目撃者なのです。」(ペテロの手紙第二1:16)
新約聖書の大半は新しい教会や個人に宛てられた弟子パウロによる13の書簡によって成り立っています。パウロの手紙は40年代から60年代(キリスト後12年から33年)の間に書かれたものですが、それはイエスの生涯と教えについての記述の中でも最も古いものです。ウィル・デュラントはパウロの書簡の持つ歴史的重要性についてこのように記しています。「キリストのための証拠は聖パウロに帰する手紙とともに始まる。パウロが存在したことや、パウロがペテロ、ヤコブ、ヨハネと繰り返し会ってることに疑問を持ったことがある者はいないし、パウロはこの使徒たちが生存中のキリストを知っていたことを羨ましそうに認めている。」 [2]
しかし本当なのでしょうか?
様々な書籍、雑誌、テレビのドキュメンタリー番組によると、ジーザスセミナーは福音書はAD130年からAD150年の間に書かれたもので、著者は不明だと主張しているそうです。この時期が正しい場合、福音書が書かれたのはキリストの死から約100年も後だということになります。(学者たちはキリストの死はAD30年からAD33年の間であったと考えています)そうすると、イエスの生涯を実際に目撃した者たちはすでに死んでいたということになるので、福音書は不明で不正の著者によって書かれたとしか考えられなくなります。
それでは、福音書が書かれた正確な時期について、私たちはどのような証拠を持っているのでしょうか。大多数の学者たちは、福音書は1世紀に使徒たちによって書かれたという見解で一致しています。学者たちが述べているその詳しい理由については、この記事でも後ほど見ていきます。ここではただ、学者たちの結論を信頼できるものとする3つの基本的な証拠を述べることにします。
- マルキオンやヴァレンチヌス派などの異端による書物が新約聖書からの書や題材、箇所を引用している。(”モナリザの微笑”参照)
- ローマのクレメント、イグナティウス、ポリカルプなどの初期の書物
- AD117年頃からの福音書のカーボン文書の破片
聖書考古学者ウィリアム・オルブライトは研究の後、新約聖書は全てほとんどの弟子たちがまだ生存している間に書かれたものだと結論づけています。彼の書籍にはこう書かれています。「どの書もAD80年以降に書かれたものだとする根拠がないことは誰もが認めるはずでしょう。これでも最近の新約聖書批評者が言っているAD130年、150年からは2世代も前です。」[5]
懐疑的なことで知られている学者A.T.ロビンソンは新約聖書の成立は伝統的な学者たちが言っているよりもさらに早い時期だとしています。彼はその著書『新約聖書の年代の再推定』の中で新約聖書がAD40年とAD65年の間に書かれたと主張しています。この場合、初期の書はキリストの死後わずか7年頃に書かれているということになります。[6]この説が正しければ、歴史的に不正な記述があれば目撃者やキリストの敵によってただちに暴露されていたはずだということです。
それでは、原本から今日の新約聖書までの道のりの手がかりをたどってみましょう。
Kinko’s は必要ない?
使徒たちによる原本は崇敬されました。教会はそれから学び、分かち合い、注意深く保存し、宝を土に埋めるように隠しました。
しかし悲しいことに、ローマ帝国はその2000年の歴史を記す書物を没収し、熱力学第二法則の代償を払うことになったのです。その結果、それらの原本のうちどれだけが残っているのでしょうか?全く残っていません。最初の原稿は全て失われてしまいました。(きっと聖書学者たちは、何かが見つかるのではないかと毎週アンティークロードショーを見逃さないようにしているでしょうが。)
しかし、このような宿命にあるのは新約聖書のみではありません。比較できる他の古代歴史の写本ももはや存在しません。原本が失われていても、確かな写本がある限り歴史家たちは気に留めません。しかし、新約聖書の古い写本はあるのでしょうか。そして、あるとしても原本に忠実に書かれたものなのでしょうか。
教会の数が増えるにつれ、教会の指導者たちの注意深い監督のもと、何百冊もの写本が作成されました。一つ一つの文字がインクによってパーチメント紙やパピルス紙い綿密に写されました。そのおかげで、今日の学者たち残存する写本を用いて(写本の写本、そして写本の写本の写し、というように)その内容の信憑性を吟味し、原本により近い内容を見当づけていくことができるのです。
実際のところ、古代文学を研究する学者たちはオデッシーのような作品と他の古代文献を比較することによってその信憑性を決定することができる原典批評を考案しました。さらに近年では、軍事歴史家のチャールズ・サンダースは原典批評をさらに拡大させ、3つの側面を取り扱うテストによって写本の忠実性だけではなく、著者の信頼性をも考慮するようにしました。テストとは以下のようなものです。
- 参考文献のテスト
- 内的証拠のテスト
- 外的証拠のテスト[7]
このテストを新約聖書の初期の原稿にこのテストを適応するときどうなるのか見てみましょう。
参考文献のテスト
このテストでは、文書を同じ時代の他の古代歴史書と比較します。ここでは以下のようなことを問います。
- 原本の写本は何部存在するか?
- 原本が書かれた時期と一番古い写本の時間の隔てはどれくらいか?
- その文書と他の古代歴史とは一致するところがあるか?
新約聖書の原本の写本が数冊しか存在しなかった場合を想像してください。比較対象が少な過ぎて信憑性を確認することは不可能でしょう。反対に何百、あるいは何千部もの写本があった場合、不正確に写された文章の誤りは容易に見つけ出すことができるでしょう。
それでは、新約聖書は写本の数と原本からの時間の隔てという面において、他の古代文書とはどのように比較されるのでしょうか。今日存在する原本と同じ古代ギリシャ語の新約聖書の写本の数は5000以上です。他の言語に翻訳されたものも合わせれば、写本の数は24000という膨大な数になります。どれも2世紀から4世紀に作成されたものです。
これを歴史書としても2番目によく記されているとされるホメロスのイリアッドと比較してみましょう。この写本の数は643です。[8] ほとんどの残存する歴史書の写本はこれ以下です。(大体は10冊以下です)新約聖書学者のブルース・メツガーはこう言っています。「新約聖書の原典批評はその文献のあまりの豊富さに(他の古代文書をは)部数で比較するのが恥ずかしいくらいだ」 [9]
タイムギャップ
重要なのは写本の数だけではありません。原本が書かれた時期と写本が作成された時期のタイムギャップも重要な点です。1000年にもわたって写本が作成されていく場合では内容はどのようにも発展してしまう可能性がありますが、それが100年であれば違う話になります。
ドイツの批評家であるクリスチャン・バウアー(1792–1860)はかつてヨハネの福音書はAD160年になって初めて書かれたのだと主張し、従ってこの福音書はヨハネによって書かれてはいないはずだとしました。この主張が本当だとすると、ヨハネによる記録だけではなく新約聖書全体に関する信憑性も疑うことになります。しかしパピルスに書かれた新約聖書の断片がエジプトで発見されたとき、ヨハネによる福音書の断片も発見されました。(具体的には52ページ、ヨハネ18章31節から33節)ヨハネが原本を書いてから約25年後の日付が記されていたということです。
またメツガーはこう説明しています。「ロビンソン・クルーソーが砂浜で片方の足跡を見たことから他に2本足の人間がいたのだと結論づけたのと同様に、p52(見つかった断片のラベル)は4番面の福音書が2世紀半ばに原本が作成された場所(小アジアのエペソ)とは遠く離れたナイル地方の街にも存在し読まれていたということを証明している。」[10] そればかりでなく、考古学の分野では原本から150年以内に作成された新約聖書の断片の多くが発見され続けています。 [11]
他のほとんどの古代文書のこのようなタイムギャップは400年から1400年です。例えば、アリストテレスの詩は343BC頃に書かれましたが、見つかっている写本で一番古いものでもAD1100年で、しかも5冊しか存在しません。それなのにプラトンは哲学者ではなく消防士だったなどと主張する者は誰もいません。
実際には、聖書のほぼ完全な写本のCodex Vaticanusというものもあります。これは使徒による原本作成からわずか250年から300年の間に書かれたものです。アンシアル文字で書かれてある新約聖書の最も古い文書はCodex Sinaiticusというもので、大英博物館に保存されています。I
これもCodex Vaticanusと同じように4世紀頃の日付が記されています。VaticanusやSinaiticusのようなキリストの生涯直後からの歴史を記録している文書は、お互いの記述がほとんど矛盾することがないため原本がどのようなものであったかということを示すという点で、聖書の古い写本と同様の扱いをすることができるものです。
批評家のジョンA.Tロビンソンでさえこの文書については次のように認めています。「写本の豊富さと、またそれ以上に原本と存在している写本の作成時期の間隔の短さから、世界中でも最も保証された古代文書だといえる。」 [12] 法学教授ジョン・ヲーリック・モンゴメリーも「今の新約聖書の内容を否認することは古典の時代全てを無意味とすることになる。なぜなら古代歴史に関する文書の中で新約聖書ほど内容の信憑性を証明されているものはないためだ。」と断言しています。 [13]
重要点はここにあります。新約聖書の記述が実際の出来事が起こった時から短期間の内になされたのであれば、その中のイエスについての描写もおそらく正確であろうということです。しかし、信憑性についての疑問に対する解答は外的証拠だけではありません。学者たちは内的証拠も用いてこれに答えています。
Codex Sinaiticus の発見
1844年、ドイツの学者コンスタンティン・ティッシェンドルフは新約聖書の写本を探していました。彼は偶然、シナイ山の修道院の図書室でバスケットの中に古い紙が入っているのを見つけました。彼は興奮すると同時に驚きました。それほど古いギリシャ語の文書を目にしたことはなかったからです。テッシェンドルフが図書館員にこの文書について尋ねてみると、恐ろしいことにこの紙が燃料として使われるために捨てられていたのだというのです。すでにバスケット2籠分の同じような紙が燃やされてしまった後でした。
テッシェンドルフがあまりに興味を示したことは修道士たちを煩わしてしまったため、それ以上の文書を見せてもらうことはできませんでした。しかし、すでに見つかった43ページにわたる文書については持ち帰ることが許されました。
その15年後、テッシェンドルフは同じシナイ山の修道院に再び戻りました。今回はロシア皇帝アレグザンデル2世も一緒でした。彼が修道院を訪ねると、修道士の一人がテッシェンドルフを部屋に連れていき、カップや食器と一緒に棚の上に布をかけて保存してあった文書を見せました。ティッシェンドルフはすぐにそれらが彼が以前に目にした価値のある文書の残りだということに気付きました。
修道院はこの文書をギリシャ正教会の擁護者としてロシア皇帝に贈呈しました。1933年にはソ連はこの文書を10万ポンドで大英博物館に売りました。
Codex Sinaiticusは現存する新約聖書の写本の中でも最も古いものの一つ、そして最も重要なものの一つです。ある者はこの文書は4世紀初期にコンスタンティン皇帝がヒエロニムスに委任して作らせた50冊の聖書のうちの一つであると考えます。Codex Sinaiticusは学者たちが新約聖書の信憑性を証明するために大いに役立ちました。
内的証拠のテスト
優秀な探偵と同様、歴史家たちは文献の信憑性を確かめるにあたり、内的手がかりにも注目します。内的手がかりとは著者の動機や詳細を公表する際の意欲、その他の特徴を明らかにするものをいいます。文献の信憑性を確かめるために学者たちが用いる内的手がかりには次のようなものがあります:
- 目撃者による記録の一貫性
- 名前、場所、出来事についての詳細
- 個人や小グループの人たちに宛てられた手紙
- 著者の恥となるような特徴
- 関連のない、または反対の内容の存在
- 関連のある文書の不足 [14]
映画「プライド栄光への絆」を例に考えてみましょう。実際に起こった出来事を元に作られてはいますが、このように実話を参考にして作られている他のたくさんの作品と同じく、観ている者に常に「本当にこのように起こったのか?」と疑問を持たせるところがあります。この場合、どのように歴史的信頼性を決定するのでしょうか?
一つの手がかりは、関連のない内容の存在です。映画の途中でコーチが何の理由もなく母親が脳腫瘍を煩っていることを知らせる電話を受けとったとします。作品の話とは関係なく、それ以上触れられません。とすると、この関連のない内容が含まれていることの説明は、このことが実際に起こったことで、監督が事実を正確に描写しようとしているだけだということになります。
同じ作品を使ってもう一つの例を考えてみましょう。ドラマの流れに沿うなら、マーミアン・パンターズに州大会で勝利してほしいと考えます。しかし映画の中でチームは勝利しません。ドラマの内容と反するようですが、これは実話でも実際にパーミアンが試合に負けたからなのだということがすぐにわかります。反対する内容の存在も信憑性を判定する手がかりとなるのです。
最後に、ヒューストン、アストロドームのような実在する地名や場所も話の内容が事実であることを確認する材料になります。これらのものは裏付けするにも偽るにも簡単すぎるからです。
以上のことは、文献が歴史的に信頼できるかできないのかという結論を導くにあたり内的証拠が用いられる例のいくつかです。新約聖書の歴史的真実性を確かめるための内的証拠を見てみましょう。
新約聖書の内容におけるいくつかの側面はその内容と質の信憑性を判定する助けとなります。
一貫性
まがいの文献は目撃者による記録や一貫性に欠いています。福音書の間に明らかな矛盾があれば、内容に誤りがあるということがわかるでしょう。同様に、福音書全てが全く同じことを言っていても共謀を疑わせるでしょう。それでは共謀者が内容の全てにおいてあえて同意させようとたくらんだかのようになってしまいます。一貫性がありすぎることも一貫性に欠けるのと同じに疑わしいものです。
犯罪や事故における目撃者はだいたい大まかな事実に関しては正確ですが、視点は異なるものです。同様に、4つの福音書もイエスの生涯における出来事を異なった視点から説明しています。しかし視点は違っても、それぞれの記述には一貫性があり、イエスの様子は明確であり、イエスの教えを互いに補い合うようにして記録していることに学者たちは驚きます。
詳細
歴史家は文献における詳細を好みます。なぜならそれによって信憑性を判定することが容易になるからです。パウロの手紙には多くの詳細が書かれています。福音書もそうです。例えば、ルカによる福音書と同じく彼が書いた使徒の働きは貴族であったテオピルスという人に宛てて書かれました。彼はその時代においてまちがいなく有名な人物でした。
これらの文書が使徒たちによる創作にすぎなかったのであれば、まがいの名前や地名、出来事などは敵対していたユダヤやローマの指導者たちによってすばやく暴かれていたことでしょう。そうであったなら、1世紀におけるウォーターゲートスキャンダルになっていたでしょう。しかし、新約聖書に記されている詳細はそれぞれに真実性が確認されています。例えば、古典派歴史家であるコリン・ヘマーは使徒の働きの後半16章の中の84点の記述について考古学の研究で証明されたことを認めています。 [15]
過去数世紀においては、懐疑的な聖書学者たちはルカの著作とその時期についてを攻撃し、不明の著者によって2世紀に書かれたものだと主張しました。考古学者の卿ウィリアム・ラムジーは彼らの主張を正しいと考え、調査を始めました。広範囲にわたる研究の結果、この考古学者は意見を翻しました。ラムジーはこう認めました。「ルカはれっきとした歴史家だ。偉大な歴史家の一人として位置づけられるべき著者だ。ルカによる歴史は信頼性において無類のものだ。」 [16]
使徒の働きはパウロの宣教旅行について語っているもので、彼が訪れた場所、出会った人々、説教したメッセージ、彼が耐え忍んだ迫害を記録しています。記述されている詳細は偽りなのでしょうか?ローマの歴史家であるA.N.シャーウィン・ホワイトはこう書いています。「使徒の働きによる歴史的真実性の証明は驚くばかりだ。その真実性を否定しようとする試みはばかばかしく見えることだろう。ローマの歴史家たちはずいぶん前からこれを当たり前の事実として見なしている。」 [17]
福音書からパウロの手紙まで、新約聖書の著者は出来事について詳細にわたるまで公然と説明し、当時生きていた人々の個人名さえも記しています。このような個人名の30以上は歴史家たちによって確証されています。 [18]
小グループに対する手紙
練られた文章の大半は一般的で公的な性質の文書からのものです。この記事と同じです。(すでに偽造された文書がいくつも出回っていることは間違いないでしょう)。歴史専門家のルイス・ゴットシャルクは小グループに対して宛てられた個人的な手紙は信頼できる内容である可能性が高いと指摘しています。 [19] 新約聖書の書はどのカテゴリーに分類されるでしょうか?
まず、いくつかの書は公開されるように書かれたものです。しかし、新約聖書の大部分は小グループまたは特定の人物に宛てて書かれた個人的な手紙です。少なくともこれらの書は偽造に対象にはならないでしょう。
恥となるような特徴
ほとんどの著者は公に恥をかくようなことは望まないでしょう。従って、著者本人に関して恥となるような記述を含んだ書は信頼できるものであることが多いと歴史家たちは考えます。新約聖書の著者たちは自分のことについてどう書いているでしょうか?
驚くことに、新約聖書の著者たちは自分たちを賢くない、臆病な信仰の薄い者として表現しています。例えば、ペテロがイエスを3度否んだことや、弟子たちが自分たちの間で誰が一番偉いのかを言い争ったことを考えてください。どちらも福音書に記されている出来事です。初代教会においては弟子たちに対する敬意は絶対的なものでしたから、弟子たち自身が記録しているのでなければこのような内容が入っていることは納得のいかないことです。 [20]
ウィル・ドュラントはその著書The Story of Civilizationの中で弟子たちについて書いています。「弟子たちは世界を変える者としては決して誰も選ばないようなタイプの人たちだった。福音書は彼らの人格を現実的に区別し、彼らの欠点を正直に暴露している。」 [21]
関連のない、または反対の内容の存在
福音書ではイエスの墓が空になっていたことを発見したのはある女性だったと記しています。イスラエルにおいて女性は価値のないものと見なされ、裁判においても許容されていませんでした。イエスの母と家族はイエスが頭がおかしくなったのだとさえ思いました。十字架上でイエスが最後に発した言葉は「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」でした。このように新約聖書の著者がイエス・キリストの教えと生涯についての正確な記録を試みたのでなければ矛盾するように思われるような記述は新約聖書において多くあるのです。
関連のある文書の不足
皮肉なことに(あるいは論理的であるのか)初代教会が直面した大きな問題のいくつかー異邦人への宣教、霊的な賜物、洗礼、リーダーシップーについてイエスは直接言及しています。イエスに従った者たちはただ成長し続ける教会を励ますために教材を作っていたにすぎないのですが、彼らがこれらの問題についてなぜイエスの指示に基づいてそれをしなかったのかは謎です。あるケースについては、使徒パウロは「このことについては主からの教えはない」と言いきっています。
外的証拠のテスト
文書の信憑性を確認するための3つめ、そして最後の測りとなるのは外的証拠のテストです。ここでは、「新約聖書以外の文献によって新約聖書の信憑性が確認できるか?」ということが問われます。
「総合的にみて、17以上の文献が50以上のイエスの生涯、教え、死、復活と初代教会についての詳細を記録している。 [22] この時代からの他の歴史事実が欠けていることを考えても、これは驚くべきことです。イエスについて記録している情報源は、同じくこの時代のシーザーによる征服より多くあります。またさらに驚くべきことは、新約聖書の詳細の確認となるものはキリスト後20年から150年の間に書かれたものであるといういうことです。これは「古代歴史学の基準からするとかなり時期の早いものです。」 [23]
新約聖書の信憑性は聖書以外の36000以上の文献(1世紀の教会の指導者による引用など)によって確証されます。これらは新約聖書の中の最後の記述から10年ほど後のものさえあります。[24] 新約聖書の写本が全て失われてしまったとしても、数行の例外を除いてはこれらの他の書簡や文書から複製することができるでしょう。 [25]
ボストン大学名誉教授のハワード・クラーク・キーはこのように結論づけています。「新約聖書以外の文献の検証の結果、私たちのイエスに関する知識は、イエスが歴史的に存在したこと、その並外れた力、使徒たちの献身ぶり、イエス後にもその運動が継続したこと、ローマ帝国において1世紀後半にまで影響力が浸透していたということを確証している。」 [26]
このように、外的証拠は他のテストによって得た証拠をさらに裏付けるものとなります。数人の過激な懐疑者による推測があるにもかかわらず、新約聖書におけるイエス・キリストの描写は過ちのないものだといえます。ジーザスセミナーのような反対者もいますが、専門家たちは宗教的な信条の違いに関わらず、今日読まれている新約聖書の内容がイエスの生涯の出来事と発言を忠実に叙述しているという意見で一致しています。
マクマスター神学校の解釈学教授クラーク・ピノックはこのようにうまくまとめています。「古代世界からの文献で原典としても歴史としてもこれほど優れた証言は存在しない。正直な人はこのような文献をないがしろにすることはできないだろう。」 [27]
イエスは本当に死から甦ったのか?
私たちの時代の最大の疑問は「本当のイエスとは誰なのか?」ということでしょう。イエスとはただ並外れた人物だったのでしょうか?それともパウロやヨハネや他の弟子たちが信じていたように人となった神だったのでしょうか?
イエスの目撃証人たちは実際にイエスが十字架刑の後に死から甦ったのだということをかたり、そのように行動しました。彼らが間違っていたのだとすれば、イエスを信じて従った者たちはみな嘘に基づいて生きたのだということになります。しかし、彼らが正しかったのだとすれば、このような奇跡はイエスが神と自分、そして私たちについて証言した全てが確証することになります。
しかし、私たちはイエス・キリストの復活をただ信仰によって信じるべきなのでしょうか?それとも、歴史的な証拠が存在するのでしょうか?数名の懐疑者たちは復活についての記述を間違っていると証明するために歴史的記録を検証し始めました。彼らは何を発見したのでしょうか?
私たちが死んだ後に起こることについてイエスは語っているのか?
イエスが本当に死から甦ったのだとすれば、イエスはその死の先に何が存在するのかということについても知っているはずでしょう。人生と将来の意味についてイエスは何と言っているでしょうか?神への道はいくつも存在するのでしょうか?それとも、イエスは自分を唯一の道だと言っているのでしょうか?「なぜイエス?」の記事で驚くべき解答を読んでみてください。
イエスは人生の意味を与えることができるのか?
「なぜイエス?」はイエスが今日の社会に関係があるのかという疑問に答えています。「自分は何者なのか?」「なぜ自分はここに存在するのか?」「自分はどこに向かっているのか?」というような人生の最大疑問に対してイエスは答えを与えられるのでしょうか?閑散とした大聖堂や十字架は、イエスが私たちを手に負えなくなってしまった世界に置き去りにしたのだ、イエスはこのような疑問には答えられないのだと思わせました。しかしイエスは、人生やこの地上での目的について言及しています。それらは私たちがイエスを愛のないものだとか不在だと決めつけてしまう前に吟味されるべきでしょう。この記事は、イエスがなぜ地上に来たのかというミステリーに注目しています。